テレビの中で、先頭の青学が戸塚中継所を通過したときにようやく重い腰を上げる決心がついた。ランナーが時速20kmで走っているとすると、横浜駅の東口はもう間に合わなさそうだけど、横浜東京間の道のりを考えるとまだゴールまで一時間半の余裕がある。どの駅で降りるかは車内で作戦を練るとしてひとまず電車に乗り込もう。
昔、鎌倉に近い横浜市のはずれに住んでいた小学生のころに父に連れられて見に行ったことがある。どの街道沿いだったかは覚えていない。僕自身はそれほど興味がなく、父に半ば連れていかれた格好だった。ワゴン車の上でスピーカーをもって選手を叱咤しているコーチがいて、父がその人物を「瀬古だ」といって興奮していたような覚えがあるが、瀬古利彦が早稲田の監督をしていたのはそれより十年ほど後のことのようだ。他の何かと記憶が混じっているのだろうか。
息子は、物心ついた頃からずっと熱心に見ていた。夜更かししていた僕が正午ごろに目を覚ますとヘッドホンをして陽だまりの中に並んでいる母子の姿がテレビの前にある、というのがここ数年の正月で、去年辺りからオレも見に行きたいと言い出すようになった。すごい人混みだからとか、一瞬で通り過ぎちゃうとか、もう間に合わないとか、大人はいくらでも言い訳を考えられる。言い訳がいくつもあるときはその裏に本当の理由があるもので、それは詰まるところ「面倒臭い」に行き着くことが多い。動機は申し立ての理屈が少なければ少ないほど重要なものなのかもしれない。
東海道線に乗り込んでスマホのアプリを見ると先頭はもう神奈川新町を過ぎて鶴見に達しようとしている。川崎は駅からコースまでが遠いので品川まで先回りをしようと話し合った。東側の車窓をのぞくとビルとビルの隙間の沿道に人が列を作っているのがわかる。その人垣は多摩川を渡る橋の上まで続いていて、見終わった客、これから野次馬に加わろうとするまばらな人の流れがそれと直角に交わっている。僕ら以外の乗客で駅伝の様子を気にしている人はいない。正月三日目、誰もがそれぞれの事情で電車に揺られている。
品川駅の前にはすでに人だかりができていた。けれども沿道は立錐の余地もないというほどでもなかった。小旗を持ったり、母校の幟を立てたりしてランナーの到来を待っている人混みの中にはところどころに隙間がある。見物場所を探して東京方面に向かって歩いていくと、立ち止まり禁止の指示が出ている歩道橋の下に、三人が収まれる見切りの良いスペースを見つけた。スマホを見る。青学はもう品川駅の手前まで来ている。
選手の汗や息遣いまで伝えてくるテレビの中とは違って、ランナーの走りはとても静かだった。警察からのマイクを使った知らせがあり、彼方の沿道の小旗が揺れて声援の波が起こり、白バイに先導されてランナーが走っていく。「ガンバレー!」だの「あと少し!」だの叫んだり、周りの人につられて知りもしない選手の名前を呼んだり、お約束で一緒に駆け出して競走したりする僕らを含めた観客がうるさすぎたのかもしれない。けれども空に吸い込まれるように足音や息遣いを消して走る彼らの姿には不思議な静けさがあった。四、五人が集団になって目の前を通過する。「デッドヒートだ」と客は叫ぶ。けれども彼らの肉体は黙っている。葛藤する心の動きのように寡黙を保って道を進んでいる。
帰路、遠回りをして新橋の電通ビルに寄った。駅前も日本テレビタワー近くの遊歩道もおどろくほど人が少なかったが、46階にある無料の展望室にはパノラマを見ようとする人たちの群れがあった。スカイツリーが窓枠の左端にあり、正面には海を挟んで千葉の工業地帯まで続く東東京の広がり。冬休みに入ってから東京の地図を研究していた息子にビルの名前や晴海ふ頭に泊まった船の名前を教えてもらいながら、目の前の直線だけでできた人工島とそれを連結する橋の曲線を眺めていた。ここにいる人間のうちどれだけの人が、この地図の完成に一役買ったのだという自負を持てているのだろう。一体誰が、観光客として眺望を獲得する以外にはこの地図と関われないという負い目を逃れているのだろう。人々が抱える負い目を背負ってビルの谷間を駆けていったランナー。