夕方に突然節々の痛みが増し、体温計を見てから不安になった。39.4℃。いつもの頭痛、いつもの悪寒。多分ただのインフルエンザだ。けれども、この病気に罹ると毎度1%ほどの死の恐怖を感じる。重い病気の人には怒られるかもしれないと思いながら、本当にこのまま脳も体も無傷で快復できるのかと不安になる。現実の痛みに加えて、崩壊していく身体を自分は受け止められないだろうという思いが身を苛む。あぁ、こんな思いをするのも嫌だからあれほど気をつけていたのに。
部屋を閉め切って、どうしても漏れてくる自分の呼吸音を聞きながら布団にくるまっていた。昔とちがって自分の息遣いに可愛げがない。十代の頃なら熱にうなされていても、フーフーと、もっと人からの同情に足るような愛嬌のある声で喘いでいたような気がする。今は味も素っ気もないア゛ーという間延びした音が漏れるだけ。これではなかなか同情してもらえないだろう。自己憐憫の情も湧いてこない。
情けない気持ちで息を切らせながら、途切れ途切れ嫌な夢を見ていた。今の自分に与えられている暖かい布団と飲み水。これらの持ち物も全部剥ぎ取られたとき、自分は何日生きられるだろうという観念がしきりに巡った。お前はまだ不当に恵まれている。お前はまだ本当の苦しみを知らない。そういう声に重なりながらツェランの詩句が何十回も何百回もリフレインする。

夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩にのむ…
ぼくらは宙に墓を掘るそこなら寝るのに狭くない

そうして窓の外が暗くなり、家が寝静まったころ夢の場面が変わった。場所はどこかの駅のガード下で、体操着の子どもたちがお弁当を食べていた。子どもたちは幼稚園児。親たちも一緒にテーブルに集っている。そこに遅れて僕があらわれた。息子と妻のもとに行く。息子はまだメガネをかけていない。
子どもたちの顔ぶれ、青いストライプの入った体操着の柄、すべてが年少組の頃と同じだった。そして新米パパの心に渦巻く子育ての不安のようなものも。
僕が席に着くと、新客の登場に気色ばんだHやNがニヤニヤしながら目くばせして何やら囁きあったのだった。しきりにこちらに目線を送ってくる。その意味するところを解きかねて僕は不安になってしまった。彼らが僕の登場を受け入れない理由は何だろう。息子と彼らの関係に問題があるのだろうか。不穏な空気を察知した息子も、落ち着かないしぐさで言葉を発しはじめた。僕に助けを求めているのかもしれない、HとNを牽制しているのかもしれない。お弁当の時間はこのまま乗り切るとして、食べ終わったら動き出さないといけないかなと思う。みんなを鬼ごっこにでも巻き込んで一発空気をかえてみよう。
そのとき、誰かが僕を見ている気配を感じ、その気配の主をさがした。一人の男の子が僕の方を見ていた。彼の目元には、控えめではあるけどとてもやさしい表情が浮かんでいた。「大丈夫」とか「いらっしゃい」というメッセージを自分の目だけで伝えられると信じてるかのように。僕の心に落ち着きが戻ってくる。「ありがとう」という気持ちを込めて僕が目線を返すと、彼ははにかむようにして顔を下に向け、また弁当を食べ始めた。
「この子は」と僕は思う、「卒園後、息子とは別の小学校に通ってそこで友だちができる。血の気の多いその友だちが、同級生に手を挙げて学校で問題になったとき、この子はその友だちに対してこう言うだろう、『人を叩きたくなったら僕を叩きな。僕なら君にやり返して、二人で喧嘩ができるから』と」

朝になった。寝室の外に耳を澄ませる。息子はもう学校へ出かけたようだ。部屋を出て、冬の日だまりの中で洗濯物をたたんでいた妻にこう言った。「メガネをかけていないあの子に会ったよ」
それに、他の子どもたちにも。五年前の様子を見てきたついでに、彼らに声をかけても来た。大丈夫、君たち、小学校に入ってもたくましく生きている。ずぅーっと親を心配させているけど、色んなことに頑張ったり、友だちを助けたりして、それ以上に親を喜ばせている。また何年か先に、君たちに会いに来たい。そしてまたうれしい報告がしたい。