外から眺めるだけという約束で東京ドームに出かける

上空から見ると内側から張り出しているように見える東京ドームの白い屋根。あれは実際、送風機によって高い気圧を保たれた空気が下から支えている。通用口には、隙間を作らない回転ドアがおかれていて、客の出入りを許しながら空気の侵出を厳しく取締まっている。
それでも中でゲームが行われると、密閉されたドームから歓声が漏れてくる。内部で複雑に反射した音が立ち上り、ガラス繊維でできた薄い膜を震わせる。透過した広い波面が円形の周囲にこぼれ落ち、押し寄せる音の波に巻かれると、外にいる者はハッと頭を上げる。近いのに遠い。それでもすぐそこで繋がっている感じもする不思議な音。そんな余韻が鳴り終わるまでの一頻り。
外にいる者に現れる、この何かに隔たれた感覚のなかに、真正なものの存在が示されている。中にいる者にそれは現れていないだろう。彼らは酔っぱらっているか、夢を見ているかしているのだから。
何事ももう直接には現れないだろう。野球を介さなければ一緒に応援することができないし、時が経過しなければ夢の体験の意味を知ることができない。炉心に踏み入るように、何重もの隔壁を分け入らなければならない。
降りそぼる雨の中、書店の軒下で息子が読み耽っていたのは過去の高校野球のデータ本だった。スコアに記された数字の並びは、一つ目の門扉を開けるための暗号なのである。

アトレ大井町

「今日、平和が終わります」
チェスの大会の冒頭挨拶で、委員の人がこんな言い間違いをしたらしい。
東京まで遠征にきていた甥親子と晩御飯を食べた。パスタを食べ、大人はビールを飲みながら、そんなエピソードを聞いたり、クイズ大会をしたりした。
息子が出す幼い問題に、甥は紳士らしく真面目に答えてくれていた。
ずっと思い出に残りそうな楽しいひととき、僕らなりの祝杯。
幻の中から幻の中へ