僕は思うのだけど、子どもたちの体力に追い越されそうになる辺りから、大人たちは彼らのエネルギーへの評価をためらいがちになるのではないだろうか。「無事に生まれてくれれば」に始まって、「目に入れても痛くない」の時期までは、元気であること、それだけが彼らの光源だった。たとえ元気が良過ぎたとしても、その帰結はたかが知れていた。よちよちと花壇に足を踏み入れそうになれば、一声かけて後ろから手を伸ばし、軌道を修正してあげればよかった。つまり大人たちの力でどうとでもすることができた。
子どもたちの前に進む力が大人に迫り、一声に対しても逐一反論が返ってくるようになると、エネルギーに対する評価はだんだん割り引かれ、代わりに別の評価軸が出てくる。言動を型に嵌めてくれること、当たり前とされるマナーを踏まえてくれること、大人の思惑通りに事が運ぶこと。体も大きくなったのだから、将来たくましく社会に船出をするためにも、相応の精神性は身につける必要があるのだと考える。もちろん一理も二理もある。よく言えば調和の視点、有り体にはマナーの押し付け。
けれどもあらゆる抑圧が不安の表れだとすれば、宗旨替えの奥にも何らかの不安の種が潜んでいるのではないか、と思う。それは必ずしも、自分たちが体力的に凌駕されることへの恐怖に留まらない。たとえば、彼らが自分たちよりも高いエネルギーをもっていることが、彼らがより《完全に》世界を楽しんでいることを意味しているのだとしたら。現に僕は息子の遊びに教えられるまで、円錐形の筒を使って自分の声を遠くに伝送する楽しみに気づかなかったのだ。
春の甲子園第7日。三塁側の内野席から、白線が引かれ壁で囲まれた広い芝生の空間を一日中眺めていた。時の経過を縮めたうつろな焦点の先を、何百もの白い球が飛び交う。建物の屋根よりも高く打ち上げられる球、落下地点に向かって速度を競う人影。衝突の帰趨につれて左右から沸き起こる陰と陽の音の幕。金属質の音の線。
なんて宇宙的な動作に満ちたスポーツなのだろうと思う。硬い球を手にしたら、思いきり投げてみたい。硬い金属器を手にすれば、その硬い球に打ちつけてみたい。全力で速度を与えられた球をありったけの力で振り抜いたら、宇宙空間の凡庸なこの一点に何が起こるのか。
人が集まれば歌いたかろう、楽器があれば鳴らしたかろう、通例として許される度合を超えて。
どれだけの力を込めて球を打ち上げようとも、どれだけ非常識に音量を上げようとも、球は地上に落ち、音は減衰して風の中に消えていく。けれども、初めから敗北を織り込んだこの試みは、生まれ落ちたこの宇宙に身を投げ返すことそのものではないか。

沈黙の支配する宇宙の懐に抱かれて、その秘密を悪戯にまさぐることを《遊び》というなら、喧嘩をした子どもたちがすぐに仲直りをするのは、その奥義を互いに認め合っているからかもしれない。