年に二回は里帰りをしているから、こうして家族三人で新幹線に乗るのはもう二十回近くになっているかもしれない。朧な記憶しかないけれど、最初の一、二回は確か変わりばんこに膝に抱えてのグリーン車だった。すぐに重みに耐えられなくなって三列シートに変えたが、席にジッとしてはいなかった。1号車から16号車までの探検旅行。通路側の席でうたた寝しているところを、帰還した彼らに何度起こされたことか。新幹線の車両に興味が移り、お気に入りの車両が来るまで、新大阪駅のホームでずっと待っていたこともあった。新幹線に乗ること自体が大事件だった時代。
今は駅のホームに上がってもあっさりとしたものだ。乗り込む車両がN700の一番古い型であることを一応は確認し「チッ」と舌打ちして席に着いてからは、妻のスマホを窓際に立ててワンセグ高校野球を見始めた。去年までは途中経過をテキスト速報で見せるだけだったが、いつの間にか機能を見破られている。
窓際にぬいぐるみを立てて、一緒に景色を見せてあげていたこともあった。ガイドブックを片手に、いくつのお城が見えるか数えたこともあった(新横浜-新大阪間で6個もあった)。おばあちゃんと別れた後、目にたまった涙を隠すように頑なに外を向いて窓だけを見つめていたのはついこの間の話。
今はもちろん車窓などどこ吹く風。熱海のトンネルで電波が途切れると不満を言いながら、一人前にアンテナを伸ばし、あれこれと角度を変えながらワンセグと首っ引き。試合に動きがあったときと、お菓子に手を伸ばすときはこっちを向いてくれる。山梨学院が打ちまくり、1回で10点を取ったらしい。
すべては当たり前のこと。城が6個あると数えたら、何度数えてもそれは6個だろう。富士山だって見るたびに形が変わっていたら困る、と思っていたら、富士だけは席を立った僕を追ってデッキまでついてきた。山頂から崩れて来るように北から迫る富士はアフリカの山のように見えた。