近所の食品店で、今日をもって仕事をやめ九州の地元に帰られる店員さんとお別れをした。四年前、大学に進学した娘さんとともに横浜に越してきてから昼間はずっとそこで働いていた人で、アルバイトながら店内の展示や企画に率先して活躍されていた。毎年注文していた味噌のセットや、正月用の魚が店に届いたという連絡をいただいたのもその人からだった。いつも身ぎれいにされていて元気よく、うちら相手に明るく世間話などに応じてくれていたその方が、妻が渡したカードを受け取って泣き崩れたときには、こちらも心を動かされてしまった。別れを惜しむ言葉につぐように、「あなたならきっと出来るから」とその方は何度も言った。何のことを言っているのかはすぐに分かった。いうまでもなく子育てのことだった。そうしてもらい泣きをした妻の肩を抱き、僕の方を見て「本当に可愛くて」とも言われた。
「学校に行きたくない」という言葉を息子が漏らしていた二年前に、妻はそのことを相談したことがあった。その方は、娘さんの中学時代、包丁からハサミまで家中の刃物を隠して夜通し起きていた数年間の話をしてくれた。今大事なことを伝えなければという急いた様子で、「彼の心と一緒にいてあげて」と言われた。「あなたにはできる」。
こちらには鉢植えのプレゼントをいただいた。「海老で鯛が釣れた!」とお道化てみせていた妻が、うす紫色の花を抱えながら家につく直前にこんなことを言った。相談していた方は、一難去ってすっきりしてしまえば案外すぐに世間話に戻っていくもの。でも相談された側はそう簡単にはいかない。最近は話に出ないから立ち直ったのかなと思いながらもやっぱり気がかりで、けれどもこちらから話をふるのもおかしいからと、安心する機会がないままずっと覚えて心配してくれている人もいる。いつもは見せない真剣な表情で話してくれたあの方の顔を思えば、あの方もずっとそうだったのかもしれない。