あまり確かな記憶じゃないのだけど、まだ小学生になりたてのときに東京の百貨店でおもちゃを買ってもらったことがあった。クリスマスか誕生日に近い冬の季節、神奈川の田舎から電車に一時間以上ゆられて上京し、今よりも大人たちがずっと大きな声を上げて話している人ごみの中を両親に守られて歩いた。買ってもらったのは、お小遣いなどではとても買えないし近所のおもちゃ屋にも置いてないような憧れの逸品で 子どもにとっては高嶺の花の遊び道具だったはずだが、それが具体的に何であったか、ラジコンだっかのか、戦隊ロボだったのか、は全く思い出せない。覚えているのは、結局その「憧れ」は家まで持ち帰られることはなかったということだ。自分で持ちなさいと手渡されたあと、帰りの電車に乗り、シートに座って膝の上の箱を見つめていると矢も盾もたまらなくなって包装紙に手をかけた。親の反対を押し切って箱を開け、中の説明書を取り出し、ビニールを引き千切っていた。あっという間に大切な部品がなくなった。休日で車内はとても混んでいた。席を立ってシートの上を見たり這いつくばったりするわけにはいかない。言わんこっちゃないといった顔の親に、もっと空いてから探すように言われ、最寄駅が近づいたときに彼らも一緒に探してくれたが見つからなかった。この顛末のことはこの程度に覚えてはいても、一度も遊ぶことがなかったおもちゃ自体の映像は全く思い出せない。消されるべき記憶としてきっと時間の底のほうへ沈んでいったのだろう。
こんなことを思い出したのは、先日が息子の誕生日で、プレゼントを巡る逆の立場からの所感が次々と胸を駆け巡ることがあったからかもしれない。おもちゃ屋の看板を見た途端に駈け出して注意深くおもちゃの棚を調べていた彼は、しばらくたつと、これまで見た中で間違いなく一番大きなそのおもちゃ屋を「せまい」と言い出した。目当てのものがなかったのだろう。親は親で無言ながら子どもの一挙手一投足に向けてアンテナを張る。しかしこれだけの品揃えの中でそれだけ無いということがあるだろうか。そもそもちゃんと端から見て行ったのか。見落としてるんじゃないのか。はたして目的の品が見つかった。やはりあわてて見落としていたんだ。けれどもテンションは、いっとき上がったあとすぐに下がった。何があったのか。ここ数日の彼の言動を注意深く反芻してみる。本人が言わないということは、子どもなりのプライドが失望を口にすることをためらわせているのかもれない。妻が二階建て車両が正確に作り込まれていないことに気づいた。二階建てであることがあの車両の、彼にとってのスイートスポットだった。目論見が外れてテンションが渦を巻き始める。もう何が欲しいのか判らなくなってくる。そうなると広い売り場の膨大な選択肢は逆に仇にしかならない。京都三十三間堂に1000体あるという千手観音のような圧倒的なおもちゃの列に見おろされ、選択の主導権がなくなってくる。「じゃあこれにする」と言って、破れかぶれにあるおもちゃに手を伸ばす。それで本当にいいのだろうか。ひとまずここはクールダウンを図るべきかもしれない。他の売り場に誘ってさりげなく別ジャンルを示唆してあげようか。すべては本人の糧になる貴重な経験とはいえ、親も人の子、帰りの電車の中で早くも後悔するような安易な選択だけは何としても避けさせてあげたい…。
字面にするとくどいようなこんな葛藤はものの数分の間に一気に去来するもので、平静を装ってはいても親の衣服の下は汗が滴っていたりする。そんなとき、ああ今まで自分は幼い頃に親がああしたこうしたと不平に思ったり、時には抗議したりなどしてこれからもそういう思いは断ち切れないかもしれないけど、そういうことは一旦はもうどうでもよくて、うちらに先立つこと三十年、彼らも同じ心の波濤を通過していたのだということ、そのことの方がよほど重い現実なんだと胸中で頭を下げた。