子どもにとって絵を描くことは、自己表現というよりもまずもって受容のプロセスであるらしい。知識も経験もある大人にとって、真新しい体験を解釈して頭の中にある引出しに仕舞いこむことはたやすいけど、こういう整理の仕方は子どもにとって容易でない。数字で表して序列したり、意味で分類して既存の知識の隣に置いたりする代わりに、子どもは体験の新しさを、手を使って視覚的に再構成することで自分の中に収めようとする。彼らにペンを執らせるのは主に大きさへの驚異であり、造形への感嘆であるが、ときには言い難い恐怖が筆を走らせることもある。
そんなわけで、昨日幼稚園から帰った息子が一心不乱に肉食恐竜の絵に取り組んでいたのは、彼の中で恐竜がまだ消化しきれない存在であったからだろう。もしかしたら幼稚園で怖いエピソードを聞いてきたのかもしれない。メインテーマは、「怖い動物」を自分の手で描ききることでその「怖さ」を克服すること。だから怖いつもりで描かれた恐竜が大人の目にいくら愛らしく映っても、たとえそれが子犬のような目をしていたとしても、息子に「オレの考えた恐竜の名前考えて」と乞われて、『プリティーザウルス』などと答えてはいけない。意味を教えたその場で却下され、より相応しい名前を考えると引き下がったのに、日が変わって今日僕が仕事から帰ると、「結局『ビューティーザウルス』で押し切ったった、意味を教えないで」とほくそ笑んでいるのは、人としてもっといけない。