さて、年明けの『ニッポンのジレンマ』で知った宇野常寛という人物への興味から『ゼロ年代の想像力』を読み、先日タイムリーに放映されていたETV特集を見て、そこで編集過程が取り上げられていた『PLANETS vol.8』を買ってみるという流れ。
ゼロ年代の想像力』の前半で解説されていた八十年代からゼロ年代に至る日本の文化的無意識の変遷、つまり高度成長が終わり時代を牽引してきた大きな物語の力からリリースされて無軌道に浮かれ騒いでいた八十年代、不況の長期化が決定的となりバブルの浮力を失って心理的に引きこもった九十年代、それでは生き残れないとその無根拠性を織り込みつつ小さな物語に仮託して立ち上がらざるを得ないゼロ年代、という図式は鮮やかで、同時代を彩ったポップカルチャーの受容や個人史的記憶との隔たり感もなく、批評という仕事に触れたという読後感、この人物の才能を感じさせてくれた。ETV特集で「潰えていった若者たちの半分も才能のない人間が、うまく既得権益側に滑り込んだことだけをもって、偉そうにしている。彼らには僕の怒りが分からない」と呻いた彼が期待し支援しているという、若い想像力が牙を研ぐ領域として≪夜の世界≫。スマホもアニメもAKBも知らない僕は、こうしたカルチャーの流行を貫いている原理的な作用を読み取る一視点を期待して、『PLANETS vol.8』の購入に至ったわけだが、この雑誌に関しては少々的が外れたという感想。自分の読み方にも問題があるのだろうけど、基本的に全ての文章を学術論文を読むように逐語的にしか読めない僕にとって、諸々の論客との座談会形式でなされる議論は、言葉の定義から論理の展開まで不透明で読みにくいことこの上ない。IT用語から哲学者の言葉まで、衒学的用語は散りばめられて華やかなキャッチコピー的紙面にはなっているものの、論者の背景知識も不確かなため、例えばインターネットと親和性が高いとされる日本的想像力に対置して語られる欧米的想像力が、どの程度の歴史的・文化的理解に基づいて論じられているのかも分からず読めば読むほど不信感が募ってしまう。LINEの国内利用者が3600万人という数字には驚いてしまったけど、食べログやAKBの何が斬新的で革命的なのか、分からずじまいのまま。AKBやレディーガガの提供するコンテンツやそれを巡るコミュニケーションが魅惑的なものなら、いくらでも聞いてみたいけど、果たして今や見向きもされなくなったエリック・ドルフィーの解読に費やす時間を割くほどのものなのか。「社会のOSを書き換える」という標語には賛同すれど言うは易し。個人の美意識を更新するのさえこんなに難しいのだから。
結論として、宇野常寛という人は頑張ってると思う。ただ時代を水底まで見通す才能は竹の子のようには生えてこないということ。斬新な概念の創造、厳密で高速な論理展開への郷愁。なんか数学が恋しくなっちゃったよ。