こうやって読み比べると、アンドリュー・ワイルズ(フェルマー予想)やグリゴリー・ペレルマン(ポアンカレ予想)がこすい(ずるい、けち)人物に見えてしまうから凄い。

ワイルズフェルマーの最終定理に直接関係のない研究からはいっさい手を引き、ひっきりなしに開かれている専門家会議やコロキウムにも顔を出さなくなった。…。ワイルズが秘密主義をとる気になったもう一つの理由は、栄誉を求める気持ちだったにちがいない。証明がほぼ完成したときになって、ジグソーパズルの最後の一ピースが欠けているという事態になることを恐れたのである。その段階でワイルズの開いた突破口のことが漏れてしまえば、ワイルズの仕事をもとにライバルたちが証明を完成させ、栄誉を奪い去るのを食い止める手立てはない。…。ワイルズは疑いを抱かれまいと、仲間を煙に巻くうまい方法を考えた。1980年代のはじめ、彼はあるタイプの楕円方程式について大きな仕事をなし遂げた。リベットとフライの発見のことを聞いて気が変わるまでは、その成果を一挙に発表するつもりだった。しかしワイルズは、その研究を小分けにして、六カ月ごとに小さな論文として発表することにしたのである。こうすれば同僚たちは、彼がこれまで通りの研究を続けているものと思うだろう。この芝居を続けられるうちは、成果を一つも明かすことなく、本当にやりたい研究に専念することができる。
(サイモン・シンフェルマーの最終定理』)

彼は自分の能力の高さをよく自覚していたので、それに見合った問題を探した。20世紀を通じて多くの第一級の数学者を挫折させてきた90年来の難問こそ、まさに彼が探し求めてきた挑戦だった。誰にも自分の秘密に踏み込ませることなく、彼はこれまでのポアンカレ予想証明の試みについて周囲にたずねはじめた。その主題にとつぜん関心を持ちはじめた理由はだれにも伝えなかったし、彼の主要な関心がトポロジーにはなかったこともあって、彼の意図に気づいたものはいなかったようだ。
奨学金期間の終わりが近づくと、ペレルマンアメリカの友人や同僚たちに別れを告げた。スタンフォードプリンストンのような第一級の大学からポストを提供したいとのオファーを受けていたが、すべて辞退した。そして自国へ戻った。ステクロフ研究所に戻ると、彼は行方をくらましたも同然になってしまった。ほぼ完全にひとりで、彼は熱心にポアンカレ予想に取り組みはじめた。安月給はアメリカで貯めた金で補った。六年間、彼は秘密をだれにも伝えず、ひとりで働いた。ときおり情報が必要になると、特定の質問を書いた電子メールを同僚に送った。…。ペレルマンには何の義務もなかったし、教鞭をとる必要もなかったので、ひどく寒い小屋でのプライバシーは願ってもないものだった。
(ジョージ・G・スピーロ 『ポアンカレ予想』)

望月さんのこれまでの研究も、 ディオファントス幾何への応用を強く意識しながら大理論を構築する、 というスタイルが特徴的でしたが、 現在の研究は、 ディオファントス幾何をより直接的な研究対象としており、 abc予想などの重要未解決問題の解決が近いことを、 望月さん本人も確信しておられるようです。 そのため、 望月さんの現在の研究は、 内外の研究者から熱い注目を集めており、 筆者も、 松本眞さん(広島大)、 藤原一宏さん(名大)らとともに、 望月さん自身を講師として不定期に勉強会を開いています。…。
普通の研究者(例えば私)であれば、 ディオファントス幾何に関する結果をなるべく早く形にして2006年のフィールズ賞に間に合うようにと考えるでしょうが、 望月さんは、 賞に対しては全く無欲(というか、 むしろやや否定的)で、 十分時間をかけて基礎理論を満足のいくような形で完成させることに力を注いでいます。 また、 (A。 Wiles がフェルマ予想に挑んでいた時などと違い)大予想の証明に向かう途中の理論についても、全てプレプリントなどで公開しています。 それを見て誰かが先に証明してしまうのではないかという周囲の心配もどこ吹く風、 「自分の理論を理解して先に証明してくれるのであればむしろありがたい」とおっしゃっています。
(玉川安騎男 『望月新一さんの数学』)

昨日ついに風呂場で息子に「父ちゃんモッチーの理論好きだよね!」と言われてしまった。好きも何も理論のことは全然分からないのだけど…。