8月末から一部の界隈で騒ぎになっていたが、ABC予想を証明する論文が発表されたとのニュースが、昨日になってようやく日本のメディアを賑わした。ところがこの国のメディアの程度、社会の民度を反映してか、話題は著者であるRIMSの望月新一教授の卓抜な学歴に関するものばかり。フェルマーの最終定理ほどではないにせよ、このABC予想も多くの数論の未解決問題と同じく、その言わんとする内容自体を理解することは決して難しくないのだから、せめてそのあらましだけでも伝える姿勢を見せてほしいと思う。大の大人が肝心の内容を無視して、学歴や資格などをあたかも武勇伝のように語っていたら、子どもの夢はいつまでたっても育たない。ここでは拙文ながら、いくつかの例を挙げてこの問題を概観し、ABC予想が主張するところの「こころ」の一端に触れてみたい。
中学生でも(事によったら小学生でも)分かるように、(正確さを犠牲にしても)なるべく丁寧な記述を心掛けるつもりだが、一つだけ馴染みのない記号を導入する。正の整数nの素因数の互いに異なるものの積をrad(n)と表現する。
n=p1^m1*p2^m2*...*pr^mr
素因数分解されるとき、定義から
rad(n)=p1*p2*...*pr
となる。

例1.
rad(2)=rad(4)=...rad(1024)=...=2
rad(6)=rad(12)=rad(18)=6

さて、この記号を使ってABC予想は次のように表される。

(ABC予想)
自然数a

まず最も単純なa、bの組み合わせから、cとrad(a*b*c)^2の具体的な値を見ていこう。

例2.
a=1、b=2のとき、c=3、rad(a*b*c)^2=(2*3)^2=6^2
a=2、b=3のとき、c=5、rad(a*b*c)^2=(2*3*5)^2=30^2
a=2、b=9=3^2のとき、c=11、rad(a*b*c)^2=(2*3*11)^2=66^2

この例を見ると、c

例3.
a=1、b=63=3^2*7のとき、c=64=2^6、rad(a*b*c)^2=(2*3*7)^2=42^2

であり、c

例4.
a=1、b=1024=2^10のとき、c=1025=5^2*41、rad(a*b*c)^2=(2*5*41)^2=410^2

ここでaとbはそれぞれ1と2という素因数のみによって構成されているが、その和cにそれとは異なる大きな素因数(5、41)が現れることによって、rad(a*b*c)^2が大きくなってしまっている。次にcをある数の累乗(rad(a*b*c)を小さくするために)で、かつ大きな値としてみよう。

例5.
a=1、b=1023=3*11*31のとき、c=1024=2^10、rad(a*b*c)^2=(2*3*11*31)^2=2046^2

ここではaとcがそれぞれ1と2という素因数のみによって構成されているが、bにそれとは異なる大きな素因数(3、11、31)が一乗の形で現れており、rad()による値の減少の効果を受け付けていない。もう一つ、aとbを共にある数の累乗(rad(a*b*c)を小さくするために)で、かつ大きな値(cを大きくするために)としてみる。

例6.
a=1024=2^10、b=59049=3^10のとき、c=60073=13*4621、rad(a*b*c)^2=(2*3*13*4621)^2=360438^2

ここでもaとbがそれぞれ2と3という素因数のみによって構成されているのに、cにそれとは異なる大きな素因数(13、4621)が現れることによって、rad(a*b*c)が小さな値になることを邪魔している。
これらの例から受けるABC予想のイメージを言葉にするとこのようになる。aとbにいくら(素因数分解的な意味で)単純な数を持ってきても、その和cは必ず(素因数分解的な意味で)複雑な数になってしまう。もっとざっくばらんな言い方をすると、例6.のようにa=1024=2^10、b=59049=3^10とするとき、cは絶対にc=5^7のような形にはならないということだ。なぜなら、もしcがそのように単純な数で表せるなら、
rad(a*b*c)^2=(2*3*5)^2=30^2<=c
となって、ABC予想が成り立たないからだ。ここで勘の良い人は、報道されていたこのような記述を思い出すかもしれない。「この理論を使えば、予想から約350年間解くことができなかった超難問「フェルマーの最終定理」も容易に解けるという」。そこで最後に、ABC予想フェルマーの最終定理の関係をざっと見てみたい。フェルマーの最終定理とは言うまでもなく次のような定理である。

(フェルマーの最終定理)
自然数nが3以上のとき、x^n+y^n=z^nを満たす自然数x、y、zは存在しない。

n=2のときは、x^n+y^n=z^nを満たす自然数x、y、zは無数に存在し、この値の組をピタゴラス数という。ピタゴラス数をABC予想に当てはめてみると、

例7.
a=9=3^2、b=16=4^2のときc=25=5^2、rad(a*b*c)^2=(2*3*5)^2=30^2
a=25=5^2、b=144=12^2のときc=169=13^2、rad(a*b*c)^2=(5*12*13)^2=780^2

a、b、cとも平方数に書けることによって、rad(a*b*c)が大きくなることを食い止めているが、a、bが高々平方数であることによって、cも大きくなりきれず、ABC予想を破るには至らない。そこで仮にフェルマーの最終予想が成り立たない場合を考えてみよう。つまり、自然数nが3以上のとき、x^n+y^n=z^nを満たす自然数x、y、zが存在する、としてみよう。すると

例8.
a=x^n、b=y^nのときc=z^n、rad(x*y*z)^2

となる。簡単のため、x、y、zを素数とすると、nを十分大きくとれば
rad(a*b*c)^2

フェルマーの最終予想が成り立たない⇒ABC予想が成り立たない

という流れが見えてくる(この辺りの論述の粗さはご容赦を)。この対偶をとると、

ABC予想が成り立つ⇒フェルマーの最終予想が成り立つ

フェルマーの最終予想は、誰にでも理解できる特殊な式を提示し、それが成り立たないという形の主張になっている。当然だが、ある特殊な式が成り立たないという主張は、より一般的な式が成り立たないという主張より、論理的に意味する条件は緩い。「自然数nが3以上のとき、x^n+y^n=z^nを満たす自然数x、y、zは存在しない」という主張は、「aとbにいくら(素因数分解的な意味で)単純な数を持ってきても、式(1)で表されるように、その和cは必ず(素因数分解的な意味で)複雑な数になってしまう」という、より強い主張の特殊な表現の一つとみなせるのである。