窓を開けてこれを書いていると、台風の去った表の木々から虫の音が聞こえる。風が弱まったのをみて、さっき二人分のカップラーメンを買いに外へ出たときは、雲はもう薄いレース状の摩耗した切れ端になって、駅の電線の上を飛んでいた。空気は、魚の泳ぐ水槽のように月の光を満たしている。明日から始まる平日に向けて寝静まる人たち。虫たちは、月の豊饒な光を呼吸している。
昨日。中秋の名月に合わせて、妻と息子が団子を作ってくれた。こねこね、ぺたぺたと粉を捏ねる息子を見ながら妻はお月見の由来を話したが、肝心の月は日中には現れなかった。散歩の帰り、玄関に入る手前で妻が「あっ」と声を上げると、満月。建物と街路樹とのあいだの雲間から、真円の月が上っている。ベビーカーを即座に東に向けた。親がいいね、きれいだ、と浮かれている傍らで、息子の目はじっと夕景をとらえていた。こういうとき、子どもは何も言わない。
妻のお母さんから電話があり、「おばあちゃんのおうちの近くに台風さんが来てるんだって」と教えたときも、息子は無言でしばらく宙を見つめていた。彼なりに何かを心に描いているのだろうが、何も言わないので余人には想像すらできない。ただ時が止まったかのように感じ、それが彼の中からの呼びかけであるかのようにも思えるから、僕らはその沈黙、その一瞬を強く抱きしめる。
「台風さん、黄色い傘をさして来ると思うよ」との言葉で場が一息に和んだ。傘をさしては来なかったけれど、台風は木々をざわざわと揺らし、びゅーびゅーと窓に吹きつけて、僕らを家の中に缶詰めにした。息子は、東京駅に止まる新幹線の映像に見入ったり、雨の様子を見におそるおそる窓際に寄っては、戻ってきてびゅーと言って布団に飛び込んだり。黒ビールを開けてソファーに横になり、そのまま眠った。風の音と息子の嬌声が贅沢に耳の中に響いた。