今日会った旧友は、僕らが十代で、今よりずっとタフだった頃のことを思い出させてくれた。甘いことなど一切言わない友人で、僕が「やっぱり友達と話すのはいいなぁ」などと口にしようものなら、「お前大丈夫か?」と不審気な視線を送ってくるようなやつだけど、突き放したり、自分を卑下したりするような言葉の端々に、僕へのさりげない励ましがこもっているのを感じて、やっぱり僕は「友達はいいなあ」と思わざるを得なかった。
僕の両親は愛情こそ深かったけれど、道なき道を行くタフさとは縁もゆかりもない人間だった。その両親の愛情のゆりかごから飛び出して、一人で暮らし始めた頃の僕らは、少なくともその矜持において十分にタフだったはずなのだ。そうでなければ、この世界のあらゆる感覚知覚を体得し、全ての道徳規範に対して主権者たろうとする尊大な野望など持ち得ようもなかった。子どもを授かって、僕の中のある部分は確かに鍛えられた。でもそれはどちらかというと、保守的な方向へ向かう強さだった。こんなに可愛い子に傷を負わせたくない、挫折させたくない、いつまでも抱きしめて守り続けていたい。それは危険を恐れるが故の、弱さと裏腹の強さだった。自分の子どもは誰にとっても愛おしい。でもこの愛おしさという感情は、親を過度の安全運転へと誘う危うげな誘惑でもありはしまいか。十代の僕は、舗装された道を交通ルールにしたがって走る見本を欲しなかった。高速道路を猛スピードで駆け抜ける車でさえ、僕の琴線には触れなかった。枝葉をかき分け、傷だらけになりながらも、その痛みに奮い立ち哄笑を上げる勇者こそが、毎夜思い描いた幻のモデルであった。大きくなった息子は僕に何を欲するだろうか。彼が描く夢の地図は僕には全く見えないけれど、己の道の第一歩を踏み出そうとする息子が斜に見て、にやりと意味ありげに笑ってくれるような生き方を僕はしていきたいと思う。