今、パソコンの中に一つの動画が入っている。去年の12月25日に近所のパン屋で撮影されたもので、カメラの中には息子と、彼の相手をする妻の姿が映っている。
その日は、僕が四年間全身全霊を賭して続けてきた仕事を、もうこれまでの形では続けることができなくなった最後の日で、そんな僕の心の内を完全に理解してくれていた妻が、夕方に仕事を終えた僕を一緒に軽い食事でもしようとパン屋へ連れ出してくれたのだった。店内にはもう昼の光はなく、クリスマスの夜だけに客は僕たち以外に一人の老人がコーヒーを飲んでいるだけだった。息子はテーブルの上に電車を並べ、その場所を入れ替えたり、進ませたりして様々な配置を作りだしその眺めを研究をしている。妻は時おり手を出しては息子に制止され、その度に小さな笑みを浮かべて軽口をたたいている。去年の9月に僕たちの身に降りかかり四ヶ月以上の間暗い影を落とし続けた難局が、ひとまず(それが限りなくグレーに近いものであるにしても)決着を見た今になってみると、この動画に立ち込めている一種独特の暗欝な雰囲気に衝撃を受けざるを得ない。こうやって四ヶ月以上も耐えてきたのかと。重大な話はなるべく息子の前ではしないようにしてきたつもりだったけれど、彼は彼なりに親の身に何かが襲っているのを感じていて、なにかしら興味をもてるものを探しては、それらに囲まれて自分の世界を作り上げることが、自分の務めであると覚悟を決めているようにさえ見える。「あなたが私たち二人のために一生懸命やってくれたことの結果だから、自分一人で背負うことは全然ない」、「親二人が死に物狂いで生きている姿を見せることが、子どものためにならないはずはないんだから、三人で一緒に頑張っていこう」と、自身が感じているはずの不安などおくびにも出さずに毎晩僕を励ましてくれていた妻の笑顔にも、今になってみるとどこか暗い闇に引きずり込もうとする力に耐えているような、重い決心の影が浮かんでいる。店内に流れていたWham!の"Last Chiristmas"がいやに大きな音量で録音されていて、音の割れたモノラルのメロディーがそんな二人の輪郭をくっきりと縁取っている。
ごく公平に見て、今回の苦難は人生で遭遇した三番目に辛い体験だった。一番目の苦難は高校生のときで、神にも親にも頼らずたった一人で耐えていた。二番目の苦難は十四年前、「深夜でも明け方でもどんな時間に電話をかけてきてもいいから」という妻に支えられていた。今回はもっと広く、多くの家族や友人に知ってもらった中で乗り越えてきた。巨大な不条理に圧殺されそうになる中、己の利害を顧みない思いがけない支援の申し出に励まされることもあれば、思いもよらない言葉に失望し傷つけられることもあった。骨折られた身体はまだ完全には起き上っていないし、傷口にも所々痛みが残っている。それでも、僕らは四ヶ月間毎夜心に誓っていたように前を向き続けなければならないし、起き上って歩を進めなければならない。骨折も傷もそう簡単には癒えないが、そのようなことに不平を漏らしている暇など人生にはない。そもそもそれらは僕らの存在の上に現実が落とした彫刻刀の一振りだったのであり、癒えて元通りになるべきものではないのだ。僕らをとりまいていた潜在的な関係が恐慌後に明らかになったという、ただそれだけのこと。僕らはこれからもそうやって形作られていくのだろう。またそういう形の中でこそ多くの友情や家族愛を得ていくのだろう。現実を踏みしめ、前を向くこと。僕らが死ぬまで続けなければならないその闘いを再開するためにも、少しずつ書けることから書いていきたいと思う。