今週は、これまでの決して波風の立たない訳でなかった人生でも十本指に入る難局を迎えていたが、今日ようやく切り抜けることができた。体に残っている疲労困憊を洗い流そうと水泳に行って帰ってきてからも肉体の疲労感とは別の痺れのようなものが残っていて、未だに少し茫然としている。苦しい時、自分の身を供さなければならない事態に陥ったときにこそ、人の器の大きさが知れるとはよく言われることだが、この年になると自分の心を惹きつける人間的魅力が、言葉でも思想でも頭の良さでもなく、こういう器の大きさに絞られてきていることを感じる。妻の人のために動き、人に勇気を与える強さ、現実に人が何を考えているかを想定できる賢さ、真の共感に基づいた優しさには改めて頭が下がる思いだ。僕の人間的成長に関する目標は、これらに尽きないユーモアを加えた、まさに妻のような人間になることになりつつあるが、もう十何年も一緒に暮らしているのにこれだけはなかなか叶えられそうにない。あとは祈ってくれた人たちへの感謝と、いざという時に比較的よく動いてくれる自分の頭にも少しばかりの労いを。
十二年かけて築いてきた僕の仕事はこれで公的にも完全に認められた。unorthodoxであることは百も承知だが、満足感は刻々と重みを増している。