前の晩は、部屋のベランダに付設された露天風呂に入ったり、畳の間で身体をゆっくりと伸ばしたり翌日のルートを練ったりしてから眠りについた。朝は7時から朝食。昨日の夕食といい今日の朝食といい、こちらが宿泊費から何となく想像していた以上にしっかりとした食事が出てきて感心する。二人とも旅の見返りとして代金相応の待遇を期待したり、ぞんざいな対応に腹を立てたりするタイプではないものの、あの露天風呂付きの部屋だって管理は大変だろうし、これだけ大らかに振舞っていて職員の人はちゃんとした報酬を受けているのだろうかといらぬおせっかいながら心配になってしまう。今や地域別の一覧表からネット上で旅館が選べるようになったツアービジネスの発達で、厳しい価格競争の波を地場産業がかぶった結果なのだろうか。消費者と生産者の余剰を最大化する完全競争の恩恵は、資源の有効利用という観点からは、例えば夜のスーパーにぽつんと置かれた売れ残りの大きなサケを見たりするとなるほどと思うものだけど、この宿のサービスから受ける満足感は値段との比較というよりは、この宿が手を抜かずにサービスの中に込めた"質"そのものに由来するところもあるとも思えるだけに、消費者が得るpleasureをutilityとは分けて考えて、価格機構とは別のメカニズム上でうまくバランスできないものなのかなあと思う(そう考えると欧米のチップという慣習はその一方策として有用なのではないかという考えも浮かぶが実際にどうなのだろう)。宿の職員の人の対応はとても丁寧なものながら、どことなく一歩引いたというか、うがった見方をすれば客の突発的な振舞いに対して構えている感じもうかがえる。年中素性の分からぬ客を相手にしながら今さら内心怯えているわけでもないだろうが、金の流れる方向によって決まってしまっているある種の従属関係から自由になれる道はないのかなとも思う。さらに客の立場からすると、具合が悪いことに僕らは供給されたサービスに対する謝意を示す「ありがとう」という言葉はもっていても、相手の真摯な努力に対する素直な敬意を表す言葉はもっていない。
朝食を前にした二人の写真を撮ってもらって部屋に帰った。出発前Yahoo!天気予報を見て、なんとか持ちそうだねと高をくくっていたのをあっさり裏切って今日は雨天。テレビを見ると明日はさらに降るという。片付けをしつつ、今日泊まる予定の宿に到着が早くなる旨の連絡をするために電話をすると、ものすごく威勢の良いおばちゃんが出てきてびっくり。部屋の対面にいた奥さんにも受話器から3本くらい線が出ているのが見えたらしい。一筋縄では行かなさそうな気配に顔を見合わせて戦々恐々とする。当初の予定は伊豆半島をぐるっと一周して東の河津まで行くコースだったが、変更して半島の真ん中を貫く国道を使った最短ルートを走ることにした。山を登っていくと雨が強くなって早速グローブと靴に雨が染みてきた。乾いた路面では滅法速いバイクも、湿ったワインディングでは戦力激減で四駆の車などには煽られ気味。コーナーにある鉄製の継ぎ目に車体が傾いたまま進入しないように注意しながらかんばって走る。途中、浄蓮の滝という観光スポットにだけ寄り道をした。天城山の麓の一角でわさび田などが有名らしい。駐車場から滝のある谷まで結構な距離の坂を下る。鮎の炭火焼を食べおみやげを買ってから、ヘルメットと重い荷物を抱えながら『天城越え』を口ずさむ奥さんを励ましつつ坂を上る。宿に着いたときは、羽織っていた雨具の中にも微妙に雨が染みている状態で全身が冷えてガクガクだった。予定より早い時間だったもののひとまず休憩したかったので中に入ってみると、夫婦は猫と一緒にのんびりとお茶をしている最中だった。「あら、ごめんなさい。えっ、バイクで来たの?まさかバイクで来るとは思ってなかったから」と、早速ものすごいテンションで迎えられる。予定より2時間半も早くては、さすがに部屋の準備もまったく整っていないらしい。熱いお茶をいただきながら、ちょっとどこか回ってきましょうか、と地図を見せるとあれこれとアドバイスをしてくれる。今から取り掛かると1時間ほどで整うということなので、身体もやや暖まったことだし下田まで走ることにした。下田のモスバーガーに入ると外国人の夫婦と地元の女子高生の集団がいて、Carpentersがアルバムとは別の曲順で流れていた。"A Song for You", "Please Mr. Postman","Jambalaya" ... 。うちの宿は大将の料理が自慢だからお腹は空かせといてくださいね、と念を押されていたので熱いコーヒーだけにしようと思ったけど、空腹と体力の消耗に負けてスープごはんを頼んでしまう。女性の方でもぺろっと平らげてしまうのよ、との発言に危険を感じて、うちらは二人ともかなりの少食なんですよ、と予防線を張ってはみたものの果たして大丈夫だろうかと少々不安だ。伊豆白浜の荒い海を見ながら帰ると、焼けたばかりのクッキーとお茶で迎えてくれた。4家族収納の旅館ながら本日の客はなんとうちらだけらしい。緊張の食事は6時から。それまでに必死にカロリーを消費すべく露天風呂にゆっくりつかることにする。
大将の料理はおいしいから時間をかければ全部食べれるはず、こちらもゆっくり出しますから、との恐怖の宣告で始まった夕食も、終わってみれば杞憂だった(少なくとも食事に限定すれば)。何せ出てくる料理の全てが美味。それもただの美味ではなく、軽く感動すら感じる美味しさ。食を表現する語彙がなくて上手く言うことはできないけど、食へのアンテナが鈍感な自分が旅先でこれほどの感動を味わったのは、バルセロナの魚料理店以来のことだった。これには妻も同意していた。御作り、茶碗蒸し、豚の角煮、ネギと一緒に蒸してポン酢で食べる鯛料理、掻き揚げ、鰻のお寿司。味だけでなくてそれぞれの見栄えもとても綺麗で造形の美すら感じられる。これらを前にしたらおばちゃんのラッパも旦那さんの腕への純粋な誇りから発せられているのだと素直に納得できた。これって相当うまいですね、と言ったらおばちゃんのお喋りに火がつく格好になって、大将の来歴の話までしてくれた。元々浜っ子だった大将は二十歳の頃に料理の世界に入って以来、関西の代表的な老舗の多くを渡り歩いて腕を磨いてきた人らしい。その後、横浜で割烹店を営んでいたが、おばちゃんがこの辺りの出身であることもあって旅館を開くことになった。弟子筋を率いてホテルで一夜で何百万も稼げる腕はあるのに、何せ金では決して動かない性格だから、お金の工面には結構苦労しているらしい(さっきは、たまたま今日はあなたたちだけで、と言っていたけど、いつもは本当にもっと入っているのだろうか?)。しばらくして厨房に引きこもっていて寡黙だった大将が出てきて会話に入ってきた。打ち解けてくれたようでそれは良かったのだが、冷酒をがんがん飲み始めてそこから段々顔つきが怪しくなって、遂に謎の講義が始まった。まず僕が大きな音を出して鼻をかむのが気になったようで、そこから食事における所作に関する持論が展開され、それがいつのまにか自由とルールの関係についての主張に転び、油絵も物するようで最後には好きな画家論にまで話が及んだ(佐伯祐三ユトリロ。そういえばユトリロってアル中じゃなかったっけ?)。話の合間合間に親指を突き立てて「一等賞」というのが癖らしく、さまざまな文脈でそれを多用していた。大将がそんな状態になってからはおばちゃんのエネルギーは、交通整理をして何とか話を取り持つことに注がれることになって、本当にお疲れさまという感じだった。結局その間3時間弱。掻き揚げだけはちょっと食べ切れなかったけどあとは全部平らげて部屋に戻った。
色んな意味で満腹になってしばらく横になったまま動けず。まざまざと見せつけられた「生き切りっぷり」を消化するために、二人でぼんやりとテレビを見ながらあのパンチの効いた夫婦の話をした。同じ出来事を前にしても焦点の合わせ方やはりちがっていて、奥さんはまた違う角度から二人を眺めていたようだった。そんな見解を聞くのがまた新鮮で面白く、こういうことが二人旅行の醍醐味なのかなとも思う。僕のほうは、最近の「糞便論」、「尊厳論」に続く「パンチ論」 - 長年連れ添った夫婦のパンチの効き方は同等である - を提案してみたが、前の二つに比べて圧倒的に発展性に乏しそう、との理由で却下されてしまった。それはとにかく、二人ともなんか訳の分からない元気を貰ったのは確かだった。酒も飲んでいないのに酔ったような感じは続いていて、酔い覚ましに二人でもう一度風呂に入った。うちらが食事をしている間に湯に浮いた葉や草をとってきれいにしてくれていた露天風呂で裸体を満天下に晒してくつろいだ。