コロナ禍で夏にできなかった旅行をこの年末にしようという話が出て、そのことで不機嫌になっていた。
三人にとって初めての船旅行。名古屋から仙台までのフェリーなのだが、宿泊する客室について息子が「もっと豪華な部屋がいい」と言う。
僕はそれは贅沢じゃないかと思う。
船が大好きな息子の希望で、初めて湾の中を周遊するだけの遊覧船でない船に乗ることになった。初め、東京湾から南の島に向かう『さるびあ丸』みたいな船が候補に上ったが、全長118mの船では東京湾クルーズの船と大して変わらないと却下された。国内のフェリー航路や就航するフェリー船のスペックやらとにらめっこしながら彼が導き出したのは、神奈川の人間が名古屋から仙台まで船に乗るというヘンテコなルート。名古屋にも仙台にもそこにフェリー乗り場があるという以外直接の用はない訳だが、行き来の新幹線代はかかる、ホテルの宿泊代もかかる。元々の彼の本命は2月に乗客に感染者が出て話題になったダイヤモンドプリンセスのような豪華客船だったから、彼の方でも妥協はしたのだろうけど、親としては密閉された船内での感染も心配だし、初の船旅で船酔いもどの程度のものか未知数だ。あれこれの懸念が重なって負担感が募っていたのかもしれない。
「うーん」と唸って考え込むフリをしてその場では何も言わなかった。相手の言動が不条理と感じられるときは相手の心理に理解が達していないことが多いし、不用意な発言は避けたほうがいい。
どうして船に乗るだけでは満足してくれないのだろう、「豪華な」客室を望むのだろう。
「うーん」と妻もまた唸ってから、時間をおいてこんなことを言った。
「よくわからないけど私が思い出すのはあの子が描いてきた絵のことかな。一年生の頃から何百枚も船の絵を描いてきたけど、豪華客船の設計図には必ずうちら三人のための豪華なスイートルームを書き込んで、豪華なベッドも用意してくれたじゃない?あの子にとって『豪華』というのは…」
「分かった、ありがとう」
A4の紙を30枚ほどもセロテープで貼り合わせた巨大な客船の絵が浮かび上がる。船の絵だけではない。町の絵を描く時にも、画用紙二枚分にわたる大きな町にタワマンや低層階マンションや一軒家を何十棟も書き込んで、この町のどの家に住んでみたいかをしつこく聞かれた。建物を決めると、何階のどの部屋がいいかと聞かれる。
低層階は部屋が広いよ、高層階は眺めがいいよ。山側は星が見えるよ、海側は船が見えるよ。
それからマンションの間取り図にとりかかる。そこには必ず三人の為の大きな部屋と大きなベッドが書き込まれていた。どこからどう見ても豪華なマンションであり豪華な部屋だったけど、それを贅沢と思ったことはない。
お金を出すことができないとすぐに贅沢だと言われてしまうけど、我儘が言いたいのではないし、大人が考える豪遊をしたいわけでもない。宇宙船に乗って宇宙旅行をしたいという願望は贅沢だろうか。船に一番詳しい立場から家族にその世界を紹介したいという心意気が、子どもっぽい要求の陰に隠れていることを知る。
年末、彼は僕らを船内の隅から隅まで案内したあと、甲板に出て冬の太平洋の風を一番前で受けるだろう。