五月末の土曜日に突然の神経衰弱。ただ結論から言うと今回のは直後からきちんと対策を講じたおかげで大したダメージなくすり抜けてくることができた。西日をカーテンで遮って、窓を開けて部屋の風通しをよくして、ベッドの上に横になる。そうした上で、指を折りながらこういうことが自分にとってもう何回目になるかを数えてみる。正確な数は分からないけど軽く2桁は超えていそうだ。それぞれのdepressionはどのくらい持続しただろう。よく考えてみたらなんだかんだで1週間以上続いたことはほとんどなかったような気がする。やっぱもともとが親譲りのねあかなんだ。それに良くも悪くも神経が枯れてきたのか、最近のものほど治りが早いような気がする。これで少し元気になる。出口の光が少しでも見えた時点でこの問題は半分は解けたようなもの。あとは予期せぬcrashを招いた自分のmind setの検証。最近は人をバカにしたりしてちょっと調子に乗っていたかな。人は他人を裁くのと全く同じやり方で裁かれる。バブリーなテンションをリストラする機会としてはちょうど良かったかもしれない。
ここまで来たら次は行動療法。爪を切ったり、部屋を片付けたり、体を伸ばしたり。ただし焦らずにゆっくりやるのが重要。仕事はスローダウンしてでも続けたほうが良いが予定に縛られることはやめよう。メディアから流れるニュースとかは見ないほうが良い。大きなことは考えないこと。バイクのカタログを眺めたり、なじみの漫画を読んだり、NBAやお笑いの動画を見たり、暇な中学生がやるように時間を潰すのが良い。そんなわけで、6月2日までの松っちゃんブームは、脳にとって心地よい栄養だけを補給してあげるセラピーの一環でもあった。それに乗ってcruiseしていたらいつの間にか水面に顔を出していたという次第。
本当にこの人には、この十年以上数え切れないほどの幸せを貰っている。THE HIGH-LOWSに『日曜日よりの使者』っていう曲があって、これは甲本ヒロトが絶不調だったときに、ふとテレビで目にした『ガキの使い』を見て生きていくための希望を見出した、という経験を歌った歌らしい。それって出来過ぎの話じゃないかっていう気もするけど、似たような経験をしてる人はうちらの世代では結構多いんじゃないかなとも思う(それをこんな好曲に仕立てるなんて、なんか恋敵にでもあった気分で少し悔しかった)。明日が学校だったり会社だったりする日曜日の深夜に手持ち無沙汰にチャンネルを回していると、「あ、もうそんな時間か。『ガキの使い』やってるよ!」。何もないところから笑いを生み出す魔法。ひとしきり笑った後の心は、それまでの憂鬱の霧が晴れ渡ったみたいに透明で爽やかだ。それは僕にとっては友人と軽口を叩き合った後に感じる心地よさと同じものだ。もちろん毎週律儀にチャンネルを合わせているわけではないし、毎回毎回面白いわけでもない。ただ不機嫌そうに毒づいているだけみたいに見える回もあるけど、そりゃいくら才能あっても調子に乗れないときくらいあるだろうと。
一時彼らのコントがいじめを助長しているなんておバカな主張があったけど、もう全然分かってない。まったく逆なんだよ。あれはいじめをバカにしてるの。彼らが演じるキャラクターは多くが大物俳優、成金の不動産屋、業界人などのエスタブリッシュメントであったり少年期の自分や相方をモデル化した貧乏人であったりするけど、それらは確かに一次的にはバカにするために俎上に載せられている。ただし、彼らがそれらの対象を一方的にしこたま叩くなんてことはまずないんだ。そんなことをやって得られる笑いはレベルの低いものでしかないだろう。コントではそんな対象に白い眼を向ける「こっち」サイドの役柄が必ずいて、実は笑いの照準はこっちのほうに合っていたりするんだ。「あっち」側の人間はそのためのきっかけに過ぎない。もちろん構図はそんなに単純じゃないし、念入りな仕掛けが施されていて一見しただけでは構図が見通せないような多義的なコントもある。インディアンの衣装を被った白人(=racist)が間抜けな日本人にキレまくるさまを笑う"Mr. Bater"が典型的だよね。ともかく『ごっつ』時代に作られたコントには必ずといっていいほど「こっち」と「あっち」という視点が入っている。それは「自分」と「他人」という西側的な区別とは全く別のものだ。「自分」は「こっち」であるときよりもむしろ「あっち」であるときのほうが多い。こういう文化的な軸を設定して巧妙に織り合わせ上で、究極的には内と外を同時に笑ってるんだ。「こっち」側に適応しない人間は全部つぶす、といういじめの思想とどう似ているのか。
美術の教科書に載っているキリストの磔刑図を見て、子供に残虐さを植え付ける、なんて文句を言う大人はいないだろう。笑えないなら笑えないでいい。ただこっちもアートとして見てあげないと。
あ、いかんいかん。また人をバカにしようとしてる。しばらくおとなしくしていよう。