細かい雨に冷やされてすっかり涼しくなってしまいましたね。この一週間の工場的労働で夏休みの気分も早くも夢のように消えてしまいそう。人にはそれぞれ季節の原型を作るような典型的な年の記憶があって、その後の夏のすごし方はそのイメージをなぞる向きに決まっているのかなということを今年は思いました。一枚だけ絵柄を表に向けられたカードを中心にして、その前のカードや後ろのカードが裏向きに少しずつずらしながら重ねられていくように、以後の過ごし方や以前の記憶の意味も、過去の象徴的なエポックによって決められているものなのかもしれません。複製された夏の覚え書。
三日目は結婚して新居に引っ越した友達の家に遊びに行った。以前によく遊びに行った上石神井の下宿は新聞紙や書きかけのメモ、海外旅行の絵葉書や読みかけの本が散らばって混沌の極みだった記憶があるんだけど、リビングと一体になった書斎は本棚も著者別にきちんと分類されていてかなりすっきりとしていた。奥さんの本棚には聖書が、机の上には聖句が書かれたカレンダーが置いてある。ここにもまたクリスチャンが。人口比0.8%とも言われる少数宗派(やその思想を刻まれた人々)が僕の周りにはたまたまとても多く密集していて、その多くが、敬虔・勤勉・清貧の性格イメージから良い意味でも悪い意味でもあまりにも隔たっている。僕はこの後のほうの事実にとても興味をひかれる。これは世界共通というよりは日本人にとっての特有の問題という気がする。イタリア人もほとんどクリスチャンで、彼らももちろん例えばアーミッシュに見られるようなステレオタイプの信者のイメージからはほど遠いんだけど、例えばピッチ上で十字を切るアズーリの選手を見ていて、友人に共通する「拉がれ(ひしがれ)」を経験しているとは到底思えない(勝手な憶測だけど)。ここで本当に勝手な仮説を書かせてもらうと、敬虔とか勤勉とか清貧とかは教義から導かれた品行の教えのようなものだけど、それは少なくとも世界観の形成にとってはあくまで二次的なもので、もっと根源的なのは子供の頃の意識に染み透っていった無限・永遠・絶対のイメージなのだと思う。クリスチャンの家の子なら誰でも「神さまっていつからいたの?」とか「どれくらい大きいの?」とかの質問をしたことがあるだろう。そこで返ってきた言葉から喚起されて意識に浸透していった時空の深さや大きさは、僕にとっては集合論で知ったアレフ1(無理数の無限)や、宇宙論で知ったエディントン数(宇宙に存在する陽子数)よりも遙かに強力な無限のイメージだった。そこから派生してくる死生観も、川のせせらぎを渡ってご先祖様が帰ってくるという日常の生活域を二次元的に延長したようなものとは当然違っていて、もっと過酷で茫漠としたものだった。ラディカルな思考様式、日常の細かいところには気がまわらない大らかさと、社会・人間集団と相対した時のぎこちなさという特徴は多分こういうところから来ていると思うんだけど、ヨーロッパの旧教圏では教会が、「教え」や告解といった儀式を通して、または檀家制度のように地域集団を社会的にまとめることによって、荒涼としたsacredな世界観と猥雑としたsecularな世俗とのcatalystとして機能してきた長い歴史があるのだと思う。もちろんこういうことを深く知るためには、白樺派から昭和の太宰に至る高校のときに少し齧ったキリスト教受容史を勉強する必要があると思うのだけど。
閑話休題。そんなこんなで(?)、あらかじめリクエストしてあったソバ料理を中心とした夏仕様の涼しい料理をいただいたり、雑草繁る庭のデッキチェアーに座って雲の動きを眺めたりしながら、岩手旅行の話(いわて銀河鉄道の話とか、秋田はやばいらしいとか)や家具や調理器具の話などを聞く。レッチリの"By the Way"を聴かせてもらいながら本棚を漁ったり(SWITCH岡崎京子特集に載っていた超広角の海岸の写真には本当に感動した。あのバックナンバーなんとか手に入らないだろうか)。日が暮れてから再開発の置き去りにされた駅の南側の居酒屋に場所を移してビールを飲みながら晩飯。他部署の悪口に花を咲かせているダルダルのスーツを着たサラリーマンと、食べ物をどんどん注文して片っ端から平らげている一家。ついていたテレビから明日は終戦記念日で首相の参拝が注目される、というニュースが割れた音声で流れてきてしばし沈黙。目配せしてから合意の上で一戦交える。結局話題に踊らされてるだけ、というか、諸国民を左右に振り分け愚民化させることを意図して仕組まれた踏絵は注意してかわしていかないとね、というところで賢くアウフヘーベン(停戦)。終電も近かったんだけど今度は場所をジョナサンに移してコーヒーを飲みながら朝まで喋った。駅まで送ってくれかけた時に奥さんのオヤジさんが通りかかって一目散に逃げていったけど大丈夫だったかな。
四日目は妹が仕事帰りに遊びにきた後、奥さんは明日もまだ仕事なので日が替わってから一人でバイクに乗って東京に行った。246で多摩川を渡って三軒茶屋、渋谷、どこかで右に曲がってからは(東京の地理は滅法弱いので)すぐにもうどこか分からなくなって、次々に現れる東京タワーとか六本木ヒルズとかの光を頼りに走り回っていると、自分が夜光虫になったような無責任な心地よさの虜になってしまいそうだった。六本木通りは午前2時なのに夜7時の賑わい、騒がしさ。店の壁にもたれながら話しているこの人たちは一体何をして遊んでいるんだろう。とにかくこの町に自分を受け入れてくれる店はありそうにないや、と思っていたら、六本木ヒルズの横の明るいガラス張りの建物(テレビ朝日)に惹かれて止めたけやき通りの陰にあったあった。TSUTAYA TOKYO ROPPONGI。TSUTAYAのくせにやたらお洒落で(1階はデザイン系の専門書、2階は視聴可能なレンタルCD)、スターバックスが同居しているからコーヒーも飲める。テラスで談笑している外国人、ヘッドホンを嵌めながら着飾った服装で勉強している学生など、雰囲気は全く違うけど、夜の3時頃ふらふら行っても開いていた京都・北大路の本屋を思い出して妙に嬉しく、しばしくつろぐ。
五日目。また夜半過ぎから今度は仕事から帰ってきた奥さんを連行して昨日とまったく同じコースを辿る。地下にあるトイレに行った帰り、エレベーターで2階に上がるとTSUTAYAの逆側に薄暗い渡り廊下があって、その向こうから白々と蛍光灯が漏れている。行ってみると深夜も営業している広いスーパーだった。客は一人もいなくて店員が一人向こうのほうで商品を並べている。無機的な冷蔵庫の音だけが聴こえる。深夜の誰もいないスーパーや誰もいないビジネス街は、休日の学校の校舎に入り込んだような、誰もいない部屋でピアノが鳴っているような開放感を与えてくれる。2階のレンタル・フロアで、ビーチサンダルを履いた二十歳くらいの薄着のカップルが陳列棚の陰に隠れたり追いかけたりしながらはしゃいでいる姿が痛く胸に刺さる。東京には「今」があり過ぎる。日本と欧米との境界に立っているのは日本ではほとんど東京だけだ。それは(人間は物質の空間的な移動をもってしか時間を計れないのだから)資本主義的版図の拡大の時計から見れば現在と未来の境界に立っているということだ。あの蓋をされた鍋の中のように時間が止まっていた京都でなければ、ビートルズを聴くこともドストエフスキーニーチェニ○○ェを読むこともできなかっただろうと思う。
六日目〜八日目。西新宿のホテル。