誕生日の翌日から胃腸を傷めて未だに体調は低迷。それでも今日はふらふらしながら昼時に出勤して労働日を消化した。2月の初めから、親しくしていた人たちにちらほらと今後のことを話し始めた。返ってきた言葉のそれぞれが、僕がこれまで必要とし、支えられてきた暗黙のベッドに触れるような手触りで心に沁みた。今日打ち明けた友人は席を立って、しばしぼーっと中庭での時間を共有してくれた。自分はこういう進行中の状況の最中にいる時、心理的な決着もついていなくて帰結もはっきりしていない事態への感傷を記録しておくことを、リスクと感じてしまう過剰に防御的なところがあるのだけど、最近は、今自分は一生の内でそう何度もあることはない贅沢な時間の中にいるんだという実感を日増しに味わわせてもらっている。これまで時々昼飯に顔を出すだけだった友人は毎日顔を見せるようになった。彼が飯に参加するということは、昼休みの1時間、傍若無人なネタふりに絶え間なく晒されその間ひたすらリアクションをとり続けなければならないという試練を意味している。漫才師でもあるまいしそうぽんぽんとボケれる訳もないのだが、たとえ面白くなくても何かしらのアイデアさえあればほぼ間違いなくピンポイントでそこを突いてくれるのでchallenge度は高い。その反面、発想のないボケは「つまらない」、「面白くない」と容赦なく切り捨てられる。「○○さんが働かなくなったら奥さんは○○さんと暮らすことに何のメリットがあるの?」「うーむ。確かに今まで考えてこなかったけど、よーく考えるとメリットはないかもな」「バカ逆だろ。よく考えたらメリットはあるのかもしれんが、普通に考えれば明らかにないだろ」。こういう会話のノリは、小学校以来の口が悪い友人との間の会話と同系列のもので、会社を投下した労働に比例して報酬が贖われる暗室のようにイメージしていた入社前の自分にはそういう友人を持つことは全くの想定外だった。自分が関わっていく組織を、お金の流れを媒介にした経済主体として抽象化して捉えることは合理的なようでいて、裏では形のない不安によって感情的に下支えされている。恐れの対象がはっきり定まらない時、状況や自分のポジションをできるだけシンプルに理解するためスキーマとして、従来特にこの社会で優勢だった人間関係よりも、金や所得という想像物がますますフィットする方向に時代は進んでいるように見える。それと並行して格差と呼ばれる、所得に沿った社会の再編成がこの4年間で驚くほど進行した。人々の社会イメージも相応に変容した。前世紀前半の作家の多くの作品に死への不安の陰画が共通して見て取れたのと同じように、今や貨幣が、取引において発揮される一般性・包摂性を意味的に拡張しながら、対象物のない不安、方策のない希望を描くための唯一の記号として立ち上がってきている。そんな中、これから会社を辞めると告げたときに、「じゃあこれからどうするの?」と即座に反問されることがなかった自分は幸福だった。今日僕は勇気を出して自己を投擲した。友人は自己の良心に注意を払うようにして腹を割ってくれた。あのときの彼の仕草、言葉はずっと忘れないようにしたい。それは、「どれだけ個人的に見える営為でも、面白がるヤツがいれば社会的なんだよ」といった友人の言葉のpositiveな証明だった。