辺りも寝静まった深夜のことだった。ケージからのドッタンバッタンに目を覚まし、妻と見にいくとジローがケージのトイレにうんちをしていた。一週間ほどこのパターンが続いていた。うんちの時間が深夜に来ていて、本人も寝床をきれいにしてほしいのかドタバタとひと騒ぎする。この暴れっぷりだとじきに踏み固めてしまうからすぐに処理にかかった。妻が風呂場にトレイを洗いにいき、僕はジローが再び眠りにつくまでケージの前に座って宥めるというのがここ最近の分担だった。母親代わりだと思われている妻が目の前から離れてしまうことことをきっかけに、どうしても吠えたりケージに体当たりしたりしてしまうジローの目を見て、大丈夫だよと語りかけることで落ち着かせることがここ数日間うまくいっていた。

けれどもこの日は、何度語りかけても彼の中に渦巻くものは収まらないようだった。広くはないケージの中を左右に何度も移動し、時おり二本足でいきり立ち、頭を天井にぶつけながら出口を探した。それが叶わないとみると目の前にいる飼い主に向かって怒りのこもったような目をして吠え声を上げた。仔犬とはいえ、全力で金属のケージにぶつかる衝撃は相当なものだ。ましてこの時間、大声で吠え続けられると近所に対しても申し訳ない。指をなめさせ、名前を呼び、何とか昨日までのパターンで静かになってくれないかと声をかけ続けたが彼の荒立ちは収まらなかった。そうして身体を外に出そうとし、目の前の人間に要求を突きつけ、遠くにいる何ものかに呼びかけて、その全てが叶わないということを観念したときに、途轍もない悲しみの声が彼の喉から漏れるのを聞いた。一体あの小さな体のどこから?
心配して見に来てくれた妻に促されて、彼を離れて寝床についた。彼もやがて眠りについた。
ペットを飼うとは一つの命をあずかることだ、と言われる。けれども、あの日の彼の声を思い出すとき、一つの命というよりは、何か人によっぽど近い或るものと付き合うのだという感を強くする。あれは我々の誰もが一人の夜にあげたことのあるうめき声だった。身近な誰かを呼ぶ声ではなかった。