富士山の五合目近くの公園で空を見上げる。駐車場の明かりが切れる暗がりまで足を伸ばすと、この夏、日本のあちこちの山や高台で見上げたお馴染みの星の配列。海辺の砂粒みたいに散らばっているままの星々に、どうしてわざわざ線を引いて星座を名付けなければならないのか。そんな生意気を口走らんばかりに、きれいな星を見ていたいだけだと言い張る息子に双眼鏡を握らせ、半ば頼み込む形でアンドロメダ銀河への経路探索につき合ってもらった。「今日はどうしても父ちゃんがお前にアンドロメダを見てもらいたいんだ」。これはどう見ても親心の仮面を被ったエゴ。こういう手ほどきこそが、子どもから発見の感動を奪ってしまんだと内心悪びる気持ちも感じながら。苦労しながら星座の線をたどって、ようやくその姿をとらえた息子は、顔をほころばせて「なんか王様みたい」と言った。β星からμ、νと視線を上げていった先の円盤が、階段の上に光る玉座のように見えたらしい。辺りの木立では、露が凝集した滴が木々の葉からとめどなくしたたっている。そんな光と音に身をゆだねていると、宇宙が寂しい場所なのか、賑やかな場所なのか分からなくなってしまう。