先週の金曜日だったが、横浜で友人と会った。賑やかな週末の人波に押されるようにして入った西口のおでん屋。そこで、帰京してから随分長い間連絡してこなかったじゃないか、と文句をつける僕に対して友人が言うには、その間に彼の親父さんが亡くなったらしい。
その日から、中学一年以来の友人である彼の父親と自分は何度顔を合わせたのだろうと、仕事の手が空いたときなどに思い出していた。一番旧い記憶は、おそらく中一か中二で友人の家に泊りにいった時のもの。海外出張にも繰り出すバリバリのビジネスマンとしての風体が、公務員だった自分の父親との対比で、大層脂ぎったて見えたという印象があるが何分記憶はおぼろだ。メイという名の白い犬が庭で吠えていたっけ。逆に一番近いところでは、二十五、六で迎えた友人の結婚式で確実にご挨拶したはずだけど、出し物のことなどは良く覚えているのにご両親の記憶ははっきりしない。息子が学校を出てちゃんとした就職先に収まり、良い嫁さんを貰えばそれで安心なのかというと、まともな親心の持ち主ならそんな心境はあり得ない、ということが当時は想像もつかなかったからかもしれない。結婚式に参列する親の心境を少しでも考えてみようと思ったのは、もっとずっと後のことだ。
そんな訳で、友人の親父さんの思い出で最も強く焼き付いているのは、彼が僕ら中学の同級生をヨットに連れて行ってくれたこと、ということになる。自前だかレンタルだか忘れたが葉山の港に泊めてあるヨットに、救命胴衣を着せた僕らを乗せ、沖へ出ると、そこで操縦の基本を教えた上で、僕らに帆を預けてくれた。彼が風を読んで声を上げると、僕らは一斉に帆の下をくぐり逆側に移動して綱を握ったままヨットの外に身を乗り出す。眼下の波に怖気づいていると、声が飛んでもっと大胆に体を張り出せと言う。部活の先生のような荒っぽい指導であったが、その言葉を信じて実際に海面すれすれまで身を横たえると、間近を走り去る波に風の力を感じ何にも代えがたい爽快さがあった。きっと僕以外の友人もあの日のことは良く覚えていると思う。
傍からの勝手な観測だが、昔から山登りが好きで、今でもしょっちゅう家族をキャンプに連れて行っている友人の中にも、かの父親の血は色濃く流れているように思う。彼もまた、息子の友人の記憶に残る父親になっていくのかもしれない。