ということで、今月号の『優駿』に寺山修司の特集が組まれていた訳だけど、あそこに掲載されていた『抒情的な幻影』を読んで、妻と「あれは他の執筆者への嫌がらせだよね」という意見で一致した。1965年のダービーについて書かれたエッセイで、角川文庫の『馬敗れて草原あり』にも収録されているから、既に何度も読んだものなのに、再読して、もうあの雑誌には場違いというしかない文章の彩度というか言葉の煌めきに、目の奥が痛むような眩暈を感じるほどだった。もちろん他の執筆者もそれなりの文章は書ける、というか、歴としたプロなのだけど、だからこそ自分の書いたものが無味乾燥な作文のようにしか見えなくなるああいう正真正銘の芸術作品と並べられるのは嫌だろうなと。村上龍が、グレン・グールドを聴くと小説を書くのが馬鹿らしくなるとか、自分が日本に連れてきたキューバのバンドの演奏を聴いて、ドラムなんてやめて本当に良かったと思ったという話と同じで、まともな神経の持ち主が、あれが37年前の同じ雑誌に載っていた文章と知ったら、やはり次号からの執筆に悩んでしまうのではないだろうか。
それでも、37年間という時代の隔たりを無視して、あの作品と今般の記事との出来栄えの違いを物書きとしての力量の差だけに帰してしまうのも公平ではないとは思う。片や競馬の売り上げが国民経済の拡大に比例して右肩上がりだった高度成長期、片や売り上げの減少とともに競馬自体から熱や物語が消えつつある二十一世紀。競馬の盛り上がりが最高潮に達した90年代に僕は寺山修司の競馬論を熱心に読んでいたけれど、彼が紙面に浮かび上がらせていた『抒情』も『幻影』も、目の前で進行する競馬のドラマに投影するには、ある種の解釈というか、時代を加味した読み替えが必要だと感じていた。90年代。インターネットが普及し始めて間もない頃、それがもたらす真の帰結を誰も予期できないまま、今起こっているのはグーテンベルク以来のメディア革命だと、分かったような口をきくことが許された時代。最早誰も革命という言葉を口にしなくなったという事実は、革命の成果が社会の隅々まで行き渡ったことと正確に対応している。革命が競馬にもたらした重大な帰結の一つはエピソードの一掃だろう。去年は三冠馬が誕生した、本来は記憶に刻まれるべき一年だったけれど、NHKスペシャルでも『優駿』でも他の雑誌でも、あの馬について語られるエピソードで、新馬戦と菊花賞の後に騎手を振り落とした荒ぶる気性にまつわるもの以外は、これといって何も語られなかった。たとえ人目を引く逸話であったとしても、Wikipediaに登録されあらゆる人が参照可能な情報となった時点で、それは物語の想像を誘うエピソードであることをやめて、味もそっけもないプロフィールや肩書の一部になってしまうのは、馬に限らず全ての著名人についても同じことだ。寺山修司は「レーシング・フォーム(データ重視の競馬新聞)は、もっと資料主義を排して、空想に憑かれねばならない。」と書いたけど、競馬新聞だけでなく、人目に触れるあらゆる逸話が類別されデータベースに格納されている現代は、空想の遊ぶ余地がさらに乏しくなっている。一昔前なら文学書に求められていた答えが、Google検索や、医師の出す処方箋に求められる時代。その意味で、人生は今も競馬の比喩であり続けている。