アメリカに来てから昨日まで続いていた好天が途切れ、朝から厚い雲が覆う。やがて降り出した雨の中、昨日に続いて競馬の巡礼。目指すはKentucky Horse Park。Lexingtonはサラブレッドの生産で知られ、「地球の歩き方」によると全米で行われるレースの勝ち馬の1/3が、ここにある大小様々の牧場の出身という。車の中から見かけた限りでも、Man o' War BoulevardやCitation Boulevardなど、Lexington産の馬の名を冠した通りも多い。記念碑や墓の下には多くの功績馬が眠り、また厩舎には存命の名馬が繋養されている言わば殿堂のような場所。今年の初めに一度ここを訪れたという友人夫婦が、Cigarという馬がえらく綺麗だったんだけど、そんな馬知ってる?と昨夜聞いてきて、当たり前だろと思わず身を乗り出してしまった。Cigar、1990年生まれのアメリカのサラブレッド。日本ではウイニングチケットビワハヤヒデと同期だが、活躍時期はナリタブライアンLammtarraと重なる。4才時から力をつけ連戦連勝、その年にブリーダーズカップ・クラシックを楽勝して全米チャンピオンまで駆け上がる。翌年には世界最高賞金額レース、第1回ドバイワールドカップを制して名実ともに世界最強馬に。インターネット普及前夜、連勝の様子は、月刊誌で大々的に報じられた。16連勝後、パシフィッククラシックステークスでDare and Goに黒星、ジョッキーカップゴールドカップでも強豪Stip Awayに敗れ、連覇を目指したブリーダーズカップ・クラシックでも復活はならなかった。芦毛のAlphabet SoupとLouis Quatorzeに競り負けたレースは、バブルガムフェローが勝つことになる天皇賞の当日の京都WINSでも速報された。そこにいたファンの多くが、G?レースを予想する手を止めて、スクリーンを見上げていたように思う。90年代、狂騒のような競馬の時代に、海の向こう側で生まれたヒーロー。
が、僕らが訪れた日にCigarはもういなかった。ケンタッキーダービー馬Go for Gin、二冠馬Funny Cideの馬房が並ぶ、Hall of Championsと銘打たれた厩舎に、Cigarの馬房は見当たらなかった。友人の奥さんが厩務員に尋ねる。"He is dead, he is dead in October. He's in a grave next to Alysheba's." 代わりに、というわけではないけど洗い場で一頭の小さな鹿毛馬が、ホースからの水を浴び、ブラシをかけられている。名を聞くと"Da Hoss"、聞いたことのある名前。戦歴を聞くと、1996年と1998年のブリーダーズカップ・マイルの覇者。「1996年の勝利の後、彼は怪我をしてしまった。それで1998年のマイルでは、favoriteではなかったの。レースでは直線でopponentに前に出られた。それでも彼は頭だけもう一回前に出たのよ」。そんなガッツがあるとは信じられないほど、大人しく、優しい目をした馬だった。水に濡れた毛は黒曜石のようで、僕が体を触っても身じろぎもしない。それでHorse Parkを出るときに、僕は「あのDa Hossという馬も綺麗だったね」と言ったのだが、友人夫妻は曖昧に答えて明快な返事をしてくれなかった。彼らが見たCigarは、どれだけ美しかったのだろう。

夜は、ダウンタウンのRupp ArenaでUniversity of Kentucky - Montana State Universityの一戦。