おばあちゃんから宅急便が届いた。段ボールいっぱいの野菜、いつも書いてくださる息子への手紙。
甥がチェスの遠征に出ているこの数日、妻の妹がおばあちゃんの家に泊まりに行ってくれたらしい。
成長した甥の姿。まだサナギの息子の将来。今までそんなこと思ったこともなかったけれど、生まれて初めてもっと長生きしたいと思う。そういって泣かれたのだと妻から聞いた。
「手紙はポイって放っぽってあるけどね…。でもそれでいいんだよね。あなたの友達が言った、量子場に刻むって、きっとそういうことなんだ」

外から眺めるだけという約束で東京ドームに出かける

上空から見ると内側から張り出しているように見える東京ドームの白い屋根。あれは実際、送風機によって高い気圧を保たれた空気が下から支えている。通用口には、隙間を作らない回転ドアがおかれていて、客の出入りを許しながら空気の侵出を厳しく取締まっている。
それでも中でゲームが行われると、密閉されたドームから歓声が漏れてくる。内部で複雑に反射した音が立ち上り、ガラス繊維でできた薄い膜を震わせる。透過した広い波面が円形の周囲にこぼれ落ち、押し寄せる音の波に巻かれると、外にいる者はハッと頭を上げる。近いのに遠い。それでもすぐそこで繋がっている感じもする不思議な音。そんな余韻が鳴り終わるまでの一頻り。
外にいる者に現れる、この何かに隔たれた感覚のなかに、真正なものの存在が示されている。中にいる者にそれは現れていないだろう。彼らは酔っぱらっているか、夢を見ているかしているのだから。
何事ももう直接には現れないだろう。野球を介さなければ一緒に応援することができないし、時が経過しなければ夢の体験の意味を知ることができない。炉心に踏み入るように、何重もの隔壁を分け入らなければならない。
降りそぼる雨の中、書店の軒下で息子が読み耽っていたのは過去の高校野球のデータ本だった。スコアに記された数字の並びは、一つ目の門扉を開けるための暗号なのである。

アトレ大井町

「今日、平和が終わります」
チェスの大会の冒頭挨拶で、委員の人がこんな言い間違いをしたらしい。
東京まで遠征にきていた甥親子と晩御飯を食べた。パスタを食べ、大人はビールを飲みながら、そんなエピソードを聞いたり、クイズ大会をしたりした。
息子が出す幼い問題に、甥は紳士らしく真面目に答えてくれていた。
ずっと思い出に残りそうな楽しいひととき、僕らなりの祝杯。
幻の中から幻の中へ

子どもの頃、人にありがとうというのが苦手だった。別段うれしくないわけではない。言わなければならないのは分かっていて、大人に促されて最終的に口にできたとしても、その言葉が口の端に上るまでには、自分でも分からない大きな抵抗があった。今でもそんな子どもは決して少なくないはずだ。けれども大人は内心訝しむ、どうしてこんな簡単な言葉が素直に言えないのだろう、欲しいものを買ってあげたのに嬉しくないのかしら。
妻に教えられて、あの頃の葛藤の謎が少し解けたような気がした。なかなかゴメンと言えないこと、ゲームでの敗北を認めづらいことと同じく、結局のところ、それは子どもの無力感への抵抗なのだ。自分の小遣いで買えないことは百も承知、親の懐にそれほど余裕がないことも分かっている。だから自分はショーウィンドウの中の最高級品を指差しているわけではない。心底から欲しいものからランクを落とすということは、大人への途轍もなく大きな譲歩なのだが、それを上手くアピールできる言葉はない。だからあの表情。「これが欲しい」ではなく「これにする」。

「でもあの子、とても嬉しかったんだと思うよ」
港北のホームセンターまでキャンプグッズを買いに出かけ、てんやわんやだった一日の終わり。玄関と廊下には袋や空き箱、タグを切るために使ったハサミがほっぽり出されていた。薪、木炭、着火用のライターがリビングに続き、ペグとハンマーは打ち込む練習をしたのかソファーの上にある。三人分のシェラフが見当たらないのは、寝室に持ち込まれ、そのうちの一つに早速潜り込んで彼が眠りについたからだ。春先でも山中は冷え込むからとマイナス5℃まで対応できるものを、カタログで目星をつけていた彼が商品棚から見つけ出してきた。そのせいか、覗き込むと体が半分以上寝袋から出ていた。

「ありがとう」の反対が「当たり前」をひっくり返すと、「当たり前」の反対が「ありがとう」になる。心に収まらない乱雑さが示すそういうサインは色々なところに散らばっているのかもしれない。

イワシの捌き方はお義母さんから教えてもらった。親指と人差し指の爪を立てて、エラのくぼみにさし込み頭部を引き千切る。背骨の端が露出するので、それを掴んで尻尾まで剥がすと、左右に分かれた胴部が現れる。その隙間に指を突っ込んで内臓を一気に掻き出す。
朝、甥のお父さんと和歌山市内で落ち合って田ノ浦という漁港まで、うちらとしては初めての海釣りに連れていってもらった。クーラーボックスで持ち帰り、すぐに作業に取り掛かったので身は新鮮だった。きれいな形をした内臓の各部位がシンクのアルミの上に積みあがった。
僕としてはとても楽しい作業だった。初めは指に力を込めることに抵抗もあり、出来上がった一枚一枚も不格好だったけど、イワシの身は柔らかくて、慣れると面白いように作業が進んだ。それが自分たちに手になる獲物だという思いも充実感に一役買った。海の恩恵から拝借した生命を、その日のうちに料理して食べられることの有難さ。魚の血で手を汚すときに湧いてくるある種の責任と、一抹の後ろめたさ。こういう表裏一体の現実が生きるという営為なのだという物語を快く脳内にめぐらせている自分がいた。
実際にそう思ったのだ。甥のお父さんから手取り足取り教えてもらいながら、四時間粘って釣ったイワシは181匹。数こそ多いように見えるけど、捌かれた身を並べてみると家族の二食分程度にしかならない。しかもイワシ以外の魚は一匹も釣れなかった。スーパーに一匹何百円で売られている立派な魚の捕獲を仕事にすることが、一体どれほどの技術と労力を要するものなのか、それまで考えたこともなかったと思った。釣りに連れていってもらえると決まって親が喜んだのも、こういう深い体験を通して子どもが何かを感じてくれるという腹心があってのことだったのだと思う。
たぶん、たった一日の体験で僕がなぞったそういう生命倫理のようなものは底の浅いものであって、しかも真実の一端をかすめているだけに、それだけ固く息苦しいものであっただろう。少なくとも、事ある毎に水槽をのぞき込み、「まだ生きてる」、「もう死んだ」、「あ、まだ動いてる!」だの気にしていた君にとってみれば。竿を伸ばすときに針が手に刺さった痛みを覚えている、まだ魚のように柔らかい肌をもった存在であってみれば。
「無理に食べなくてもいいよ。〇君ががんばって沢山釣ってくれたおかげで今日は買い物もしないで夕食ができたんだから。釣ってくれただけで十分だよ。ありがとう」
妻のその言葉が、固まっていた何かをほぐしたのかもしれない。それまで捌こうともせず、橋を握ろうともしなかった手がおそるおそる手を伸ばす。
「うまッ」
お義母さんが腕を振るってくれた天ぷらと、梅で和えた煮物は、実際、本当においしかった。

僕は思うのだけど、子どもたちの体力に追い越されそうになる辺りから、大人たちは彼らのエネルギーへの評価をためらいがちになるのではないだろうか。「無事に生まれてくれれば」に始まって、「目に入れても痛くない」の時期までは、元気であること、それだけが彼らの光源だった。たとえ元気が良過ぎたとしても、その帰結はたかが知れていた。よちよちと花壇に足を踏み入れそうになれば、一声かけて後ろから手を伸ばし、軌道を修正してあげればよかった。つまり大人たちの力でどうとでもすることができた。
子どもたちの前に進む力が大人に迫り、一声に対しても逐一反論が返ってくるようになると、エネルギーに対する評価はだんだん割り引かれ、代わりに別の評価軸が出てくる。言動を型に嵌めてくれること、当たり前とされるマナーを踏まえてくれること、大人の思惑通りに事が運ぶこと。体も大きくなったのだから、将来たくましく社会に船出をするためにも、相応の精神性は身につける必要があるのだと考える。もちろん一理も二理もある。よく言えば調和の視点、有り体にはマナーの押し付け。
けれどもあらゆる抑圧が不安の表れだとすれば、宗旨替えの奥にも何らかの不安の種が潜んでいるのではないか、と思う。それは必ずしも、自分たちが体力的に凌駕されることへの恐怖に留まらない。たとえば、彼らが自分たちよりも高いエネルギーをもっていることが、彼らがより《完全に》世界を楽しんでいることを意味しているのだとしたら。現に僕は息子の遊びに教えられるまで、円錐形の筒を使って自分の声を遠くに伝送する楽しみに気づかなかったのだ。
春の甲子園第7日。三塁側の内野席から、白線が引かれ壁で囲まれた広い芝生の空間を一日中眺めていた。時の経過を縮めたうつろな焦点の先を、何百もの白い球が飛び交う。建物の屋根よりも高く打ち上げられる球、落下地点に向かって速度を競う人影。衝突の帰趨につれて左右から沸き起こる陰と陽の音の幕。金属質の音の線。
なんて宇宙的な動作に満ちたスポーツなのだろうと思う。硬い球を手にしたら、思いきり投げてみたい。硬い金属器を手にすれば、その硬い球に打ちつけてみたい。全力で速度を与えられた球をありったけの力で振り抜いたら、宇宙空間の凡庸なこの一点に何が起こるのか。
人が集まれば歌いたかろう、楽器があれば鳴らしたかろう、通例として許される度合を超えて。
どれだけの力を込めて球を打ち上げようとも、どれだけ非常識に音量を上げようとも、球は地上に落ち、音は減衰して風の中に消えていく。けれども、初めから敗北を織り込んだこの試みは、生まれ落ちたこの宇宙に身を投げ返すことそのものではないか。

沈黙の支配する宇宙の懐に抱かれて、その秘密を悪戯にまさぐることを《遊び》というなら、喧嘩をした子どもたちがすぐに仲直りをするのは、その奥義を互いに認め合っているからかもしれない。