「なんか今日は寝るのおそいですねぇ」と不審げに見上げるジローを三人で囲みながら新年を迎えた。
ゆく年くる年』は比叡山延暦寺
闇に浮かぶ灯篭、空気の冷たさを伝える参道の足音、不協和な鐘の音。
十代の終わりから、この番組を見るときにはきまって締め付けられるような気持ちになった。何とか堪えてきたものが目の前を去ると同時に同じ色をしたもっと大きな塊りが目の前に現れる。一年を生き永らえたことが奇跡のように思われ、今年こそは本当に港から切り離されて一人、または妻と二人で彷徨うことになるのでは無いかというような。
暗い画面から伝わる不気味さは相変わらずだけど、年を経て、また実際にちょっとした病気を経験してから帰還してみると以前とは印象が違ってきたように思う。脳裏に浮かぶ死のイメージが、良くも悪くも卑俗になった。ロマン的な不安が退いた代わりに、対応可能な課題をこなす年齢になったのだろうか。自分の仕事はある程度終わったと思えているのだろうか。参詣する人々の中に元気そうな若者の姿を探そうとしている自分がいる。

と、そんな達観を気取って迎えた年にもっと大きな山場が来るとはね。病の一つで悟れたら世話はないのかもしれない。若い頃に感じた不安は、きっと死よりももっと深い根をもっていた。