朝の犬の散歩でY下さんに会ったと言っていた。何年ぶりか分からないけど、子どもを抱いてこの町に溶け込もうとしていた頃に、スーパーの前の広場で目と目が合って知り合った。赤ちゃん教室でも一緒になり、そこを卒業してからは一緒に教室を手伝ったこともある。妻曰く、戦友の一人。
お互い子が六年生になって、親が買い物に行ってくると言うと浮足立って玄関まで送りに来て、内側から鍵を閉められるところも同じらしい。
「何やってるんだろうね~。ワンちゃんは色々見てるんだよね。何を見てるの?」と言って昔からの笑顔でジローの目をのぞき込む。
ゲーム時間も大変だよね、うちも散歩の担当日にもなかなか出かけない。出かけたら出かけたで、今度は暗くなっても帰ろうとしないから、と妻。
「昔もそうだったね。もう帰るよって言っても、二人とも全然帰ろうとしなくて、外でお弁当買って良く食べたよね」
歩き始めの一二才の頃。母子のバイオリズムが合って、午前中に線路沿いの散歩道でよく鉢合わせた。歩いて自分で坂を上れる喜び、言葉は話せないけれど喃語で友だちと通じ合う楽しさ、電車が通る興奮でいつまでも別れようとしない子どもたちに根負けしてお弁当に出費し、大して話すこともないけれど、互いに肩を並べて過ごしていた新米ママの頃の思い出が二人の母の胸によみがえっている。

RIZIN。結果は残念だったけど、ありがとう。
試合が終わった後のドームに残っていた、言葉にならない若者たちのざわめき。

 

土曜日。妻と息子は眼科の定期健診で市の反対側の町へ。二人を見送ったあと、もうひと眠りできるかなとそっと寝室に引き返そうとしたらジローに鳴かれた。留守番のことは頼んであって、本人も納得してケージに入ってくれたのだけど、僕が実は家に居るということはちょっとごまかしていて…。
気配で気づかれてしまった。部屋に戻るとグルルルルと噛みつかんばかりに喜んでくれる。
分かった、今日は今から君と二人で過ごす。
今日は瞳孔を開く本格的な検査があるらしい。薬を点眼したあと、瞳孔が開くまでの時間にパン屋さんで昼食をとり、午後からの順番に備える。それから車で帰って来るから家に着くのは夕方になる。二人の表情にはいつも、変わらない症状への安堵と一日仕事の後の疲労がある。
「視力は順調です。でも君には斜視があるからメガネをとってはいけないよ」
今日も同じことを言われたらしい。
「コンタクトはできるのかな」と寝る前に妻が聞かれた。
ふと、この頃一人で入ったきりやけに長かった風呂の時間のことを思い出す。思春期だし色々あるのかなと思っていたけど、眼鏡を外した自分の顔を鏡に映す時間だったのかもしれない。
「目の成長が終わったらできるかもしれないね」
「…」
「父ちゃんも母ちゃんも大学になるまでコンタクトしなかったから」
「…」
「愛してるよ」
「聞こえてる」
それから気を取り直して
「あぁ、明日のRIZIN楽しみだなあ」
ジローと会うきっかけを与えてくれた男が東京ドームでこれまでで一番強い相手と戦う。ジローには明日もお留守番をお願いする。

コロナ禍で元気を保つコツ。ニュースを見ないこと。
acceptの本質として、無条件に心の動きに身を委ねること。1秒でもいい。

今度のRIZINを見に行くと先生に話したら、総合格闘技のジムに来ないかって誘われたらしい。本人も、完全にないこともないかな、という反応。それと中学には柔道部があるってことを教えてもらったらしい。けれどもそれほど本格的な活動でもないとか。色んな話を聞いてくるんだね。
今日は昼に乳がんの検診があって、その帰り道に学校を出る息子の姿を見かけたって。車を停めて声をかけようか悩んだ挙句やめたと話したら、絶対にダメだって。
その時はS太と歩いてたらしい。本当に雰囲気だけだけど、元気そうに見えたと教えてくれた。今日は起きるのも遅く、仕事に行く前にそんな話をしてくれたから救われた。

「母ちゃん、オレの仕事何になると思う?」
「今はYouTuberになることを応援しているよ。でも環境が変わって、十年後とか二十年後にその仕事がなくなってるとしたら、正直分からないな」
Youtubeを始めたときは、自立するまでの時の流れが見えてなかったんだと思う。だから今すぐにでも収入を得られるかもしれないYoutubeに飛びついた。それ以外に上がる選択肢は、社会で一番身近なコンビニの店員さんか、ジローを買ったときに、あれだけ多くのワンちゃんの世話ができるなんてスゴいと感嘆したペットショップの店員さんくらい思い浮かばなかった。
それが一年経って、周りの友だちと一緒に一回り大きくなって、大人になる道を見渡す目線が少しだけ広くなった。
他の仕事のことも少しだけ考えることができるようになった。

土曜日なのに平日と勘違いして妻が朝七時に息子を起こしたらしい。
「しょうがないよ母ちゃん。オレ、今週ずっと体調悪くて学校休んだりしてたんだから」
明日は朝六時に起きて走る練習をするらしい。そして人通りの途絶える夜九時にもう一本。
休んでいた間にクラスの精鋭が作った記録を破る気満々なのである。

学校での駅伝大会。結局今年は何回やったんだっけ。
レク班のメンバーが交代で企画を決める学級イベント。先生は見守るだけで生徒が自分たちで運営する。そのレク班にちょっと太ったひょうきん者の男の子がいて、その子が持ち出す企画がいつも駅伝と決まっている。レクとはいってもレースは熾烈なのだが、その子だけ計測係をやって涼しい顔で「おつかれ~」とくるから、へたり込んだみんなからブーイングが起こるらしい。そうは言っても体育とはちがう刺激があるみたいで、駅伝のあった日はいつも話をしてくれる。
クラスの中で速い子が数人選ばれて、彼らをリーダーとしてドラフトでメンバーを決めていく。息子はいの一番にリーダーに選ばれたのに、1回目は今日は脚が痛いから走らないかもと心を揺らしいていた。以前なら焦ったかもしれないけど、そうなんだ、自分で決めたら良いとだけ言って送り出せた。足の痛みの具合も、アンカーとして走るプレッシャーの程も当人にしかわからないから。
結局その日は、レク班の子に代わって計測係を務めたらしい。レク班のひょうきん者が代わりに走ってくれた。春の風吹く砂の舞うグランドで、ストップウォッチを片手に何を思ったのか。メンバーの反応、走りきった子たちの充実感、走らなかったことの後悔。無理に走らされていたら経験できなかったことばかりだろう。自分で選びとらなければ本心から後悔することはできないし、押し込まれて、次こそは!と反動する力を自分のものにすることもできない。
プレッシャーのかかる試合前に朝倉未来が持ち出した「冷静さと狂気」という表現はとても良い対になっていると思う。特に「狂気」の部分が良い。これが「根性」だと、苦しんで絞りださなきゃいけない感じがする。狂気という言葉には、内側に抑え込んだ力を解放する愉楽めいた響きがある。