和室でバットを振っている。
脚が痛いと、合宿に行けなかった
富士、本栖湖
去年は家に帰るなり、鳥観図を見せてくれた湖畔の施設へ、
子どもたちを乗せたバスが坂道を上っている
昼下がり、
和室で、いつか
大人になって、
怖気る人を励ますやさしさを蓄えている。

自分が小学5年生の時に犬を飼っていたとして、
散歩の途中で女の子と出くわしたらどうしただろう。
ワンちゃんのことを可愛いと言ってもらって、
それだけでもう話すことはなくなって、
そうしたらもうその場から逃げたくなって、
やっぱり目の前の坂を全力で駆け上がったのではないだろうか。
男子の走りを目で追ってくれると信じて。
こういう事にも真剣に付き合ってくれるワンちゃんである。

冬休み最終日。邪馬台国の番組。A君とS君に挟み撃ちになって捕まって悔しくて泣きそうになっていた鬼ごっこ。「ボルトだって公園で五人に囲まれたら捕まるさ」
ある人から返信がきた。
今年も一年かけて同じクオリティーの手紙を書き綴らなければならないのか、と途方に暮れそうになったとき、
大丈夫、妻も同じ気持ちで見守っていてくれるから、と思い直す。

「なんか今日は寝るのおそいですねぇ」と不審げに見上げるジローを三人で囲みながら新年を迎えた。
ゆく年くる年』は比叡山延暦寺
闇に浮かぶ灯篭、空気の冷たさを伝える参道の足音、不協和な鐘の音。
十代の終わりから、この番組を見るときにはきまって締め付けられるような気持ちになった。何とか堪えてきたものが目の前を去ると同時に同じ色をしたもっと大きな塊りが目の前に現れる。一年を生き永らえたことが奇跡のように思われ、今年こそは本当に港から切り離されて一人、または妻と二人で彷徨うことになるのでは無いかというような。
暗い画面から伝わる不気味さは相変わらずだけど、年を経て、また実際にちょっとした病気を経験してから帰還してみると以前とは印象が違ってきたように思う。脳裏に浮かぶ死のイメージが、良くも悪くも卑俗になった。ロマン的な不安が退いた代わりに、対応可能な課題をこなす年齢になったのだろうか。自分の仕事はある程度終わったと思えているのだろうか。参詣する人々の中に元気そうな若者の姿を探そうとしている自分がいる。

と、そんな達観を気取って迎えた年にもっと大きな山場が来るとはね。病の一つで悟れたら世話はないのかもしれない。若い頃に感じた不安は、きっと死よりももっと深い根をもっていた。

個人面談。
ある時、先生のところにあるお母さんから電話がかかってきて、今日自分の子が学校でケンカでやられたんだけど、S君が、止められなくてゴメン、と声をかけてきたらしく、それがすごく嬉しかったと。クレームじゃなくてそのことを伝えたかったんだと言ったお母さんも、それを妻に伝えた先生も泣いていたと。

トイレの流れのように
戦慄のキッチンカウンター
クレーム件数ゼロの不動産屋
ウチは古本屋じゃないのよ
外飼いはかわいそう
木造か鉄筋か、それが問題だ
参勤交代はもういらない
愛と青春の引越し
家でカラオケをするなんて
What a Wonderful Mansion