テレビでスポーツを観戦しているときに、テレビに向かって文句を言っていることがある。応援しているサイドの戦い方が思い通りにいっていないと、もどかしさが言葉になって出てきてしまう。だから文句の多くは敵ではなくて、応援してる味方に向けられたものになる。
おとといのコロンビア戦。実家に集まって家族でワイワイと応援した。チャンスやピンチで声を上げると、外からも歓声や手拍子が夜風と一緒に入ってきた。隣のマンションを見ると、殆どの部屋に人が帰ってリビングに明かりが灯っている。段々楽しくなり興が乗って、同点にされた辺りから応援が文句に変わった。親父が出してくれた煎餅やリンゴを頬張りながら、画面に向かって口を尖らせる。「今のはシュートだろ〜」、「もっとボールを追わなきゃ」。
「いや、今のは打っても入らないよ」、「十分ディフェンス頑張ってるでしょ」という息子の声に、「シュートを打たないフォワードはディフェンスも怖がらないから、引き付けられないんだ」などと玄人気取りで返していたら、何回目かの文句のときに「もーうるさい!」と言われた。
そのとき初めて、小学生の頃に自分の中にあった感覚をぼんやりと思い出した。日本シリーズで三振したりエラーをしたりした選手に不平を言う親に対してもっていた感覚。自分も結局「もーうるさい!」と怒ったんだっけ。多分、一昨日の息子よりキツイ調子で。はっきりとした言葉には表せないけど、あなたよりも選手は全然上手いし頑張ってるとか、それじゃ応援になってないとか、自分の親が他人を即座に裁くことへの怖さとか、そういうことだったと思う。
気がつけば、両親は以前よりずっと親身に応援していて、その代わりに自分がそういう大人になっていた。いつ踏み越えたのか分からないけれど、何かを感じる能力がどこかで失われたのだと思う。
でもね、それを承知で僕は言うのだけど、やっぱりみんなで集まって騒ぐのは楽しいよ。あの日家に帰るとき、夜道を歩く人たちの顔もどこか華やいでいたじゃない?そうして祭りの掛け声の中には、汚い言葉も混じっているものだよ。四年に一度のワールドカップ、こういう定期の祭り事があると大人は大人で昔のことを色々思い出して勝手に興奮してしまうんだ。メキシコ大会の決勝は試合そのものよりも朝の四時に母親に起こしてもらったことが嬉しかったなとか、病床でぼんやりとサッカー誌を繰りながら過ごしたちょっと苦しかったフランス大会のこととか。お前のことも思い出すよ。前回は幼稚園でネイマールという名前を覚えて帰ってきた。前々回は試合中ベビーベッドの中で眠っていてハーフタイムになった瞬間に泣いて呼ばれたから「親孝行な赤ちゃんだね」と母ちゃんと笑った。
だからなるべく気を付けるけど、どうしても文句を言いたくなったときは、後に言葉を付け足すことにする。
「オレよりは全然上手いけど」、「本人が、オレなんかよりずっとこの試合に一生懸命なんだけど」
ちょっと面倒臭いけど、それはそれで事実だものね。