会社時代の友人達を家に招いての飲み会。なるべく奥さんたちに負担をかけないよう食べ物は出来合いのもので、というコンセプトで友人宅を巡っていて、うちが三軒目。食事はピザを注文し、食器も妻の手を煩わせないように自分で並べていたのだが、みんなが帰った後で、縁の欠けたグラスを使っていたのを妻に指摘され怒られてしまった。なんでも、玄関先に箒を立てるのと同じく、普通は縁起が良くないとされていることだそうで、その喩えの意味もピンと来ないほど常識が無いのだから困ったものだ。
初めははにかんで輪の中に入ろうとしなかった息子も、自作のおもちゃを見て貰ったりしているうちに調子が出て、テンションもうなぎ上り。プラレールを組み立てて電車を走らせていたら、友人の一人が興味をもって息子との距離を徐々に詰めていく。小さい頃から、巡回する線路の真ん中に陣取って、自分で作ったコースを見渡すのに時間が経つのを忘れていたという彼曰く、大人たちが老婆心で避けようとする脱線や線路からの落下も、子どもには全く気にならないのだと言う。レールから外れるのは歓迎すべきハプニングであり、そこから走路を組み替えるための別のアイデアが生まれてくるのが楽しいらしい。子どもの目線に立った示唆で、なるほどなと思った。