友人が誘ってくれたので、珍しく大学の同窓会に顔を出した。顔を出したといっても、場所ははるか大阪。自分の対外的な間口の狭さ、関西弁での挫折もあって、大学時代に仲良くなったのは関東、それも神奈川出身の人間が多かったが、僕以外はみんなその後もたくましく関西地方に根を張っているから、こうした集まりも関西で開かれることが多いみたい。大阪や梅田、という響きを聞くだけでも胃にキリキリ来る自分にとっては完全アウェイの戦いで、気持ちを落ち着けるために、前の晩は面々のリストを見ながら、この人はスキー旅行で会って以来15年ぶり、彼は今こんな仕事を頑張っているらしい、そう言えば昔こんなことを言っていた彼は、などと、妻にも手伝ってもらいながら思い出せる限りのエピソードを掘り起こして頭の整理をはかっていた。新幹線の二時間も、それぞれがどんな気持ちで、どんな話をしたいと思ってくるのかと、外へ外へ焦点付けすることで自分の中の高ぶりを誤魔化していたように思う。ホテルに入り、あんまり早く着いてもと六時ちょうど辺りに時間調整してに居酒屋に着くと、なんと自分が一番乗り。なんだかんだで、気負ってるのは自分じゃないかと苦笑い。八人全員が揃ってからは果たして、うまく話をふれるわけもなく、自分の予習は功を奏せずして幻のように四時間が過ぎていった。卒業して二十年たつくらいじゃ変わらないお互いのキャラクターはみんなが承知していて、その上でテーマを決めなくても自然に話ができるんだから流石だ。一般社会では何をやってきたかがその人の肩書になるけど、行動の履歴とは関係なく、互いのキャラクターに基づいて付き合えるのは若い頃に知り合った友人ならではなのかもしれない。イケメンの友人と握手をして別れて、夢見心地でホテルのベッドに横たわっていたら、魚の干物以外ほとんど何も口にしていなかったことに気付き、慌てて外へ出て吉野家でカレーを食べた。死線、などという言葉を使ったら今患っている人に対して大変失礼なことになるが、この世界で何十年も生きている以上、あと一歩のところで持ちこたえたから今があるという人知れない体験と無縁でいることは難しい。自分たちの世代の他人への想像力は、そういう体験に裏付けされるような種類のものに変わってきている。昔はこんなに涙もろくはなかった。そして口には出さずともそういう意識はお互いの中に確かに感じ取れるものだ。