公園脇の坂道を妻と歩いているときに妻のお母さんから妻に電話があって、お母さんは先日のマラソンで太ももからお尻にかけての筋肉を傷めてしまったらしいのだが、治療のために風呂屋で温めたりジェットを浴びたりして、さっきからは押し入れにあったおばあちゃんが使っていた電気式の温め機を出してきて使っていたところ、さっきネットを見たらそういう時は初めの48時間は温めたらダメでむしろ冷やさないといけないと書いてあって、まだ40時間しかたってないけどどうしよう?という相談で、温めたらあかん言うけど、安静にはしてた訳やし大丈夫ちゃう?48時間というのもあくまで目安やから痛みがひどくなってきたんでもないんやったらそのまま使っとき、と一人暮らしで否応なく痛みや症状と向き合ってそこに占拠されてしまうお母さんの気持ちを応援するような言葉を妻がかけているのを聞いて、お母さんも酸素ボンベをつけたおばあちゃんが亡くなる前はずっとこうして声をかけてきたのだろうなと思い、子がいつの間にか母になり、母はいつの間にか子どもに戻っていくという人生の回帰が、一本の鎖が海の中に沈んでいくように、人々の生死とともに未来へと延々と繰り返されていく道のりを目の当りにするような気持ちになった。