大門駅から増上寺の山門に突き当たる道の途中、ビルの影が切れたところで息子が東京タワーを見つけた。「東京タワーから続いてく道(ぼくらが旅に出る理由)」のゆるい坂道を上ると、タワーはみるみる近づいて姿を変える。植えられた木立の一本一本を過ぎる毎に、息子は空を見上げ、僕はシャッターを切った。
タワーの麓で、当初一緒に行く予定だった親父に写真を送った。この日は平日で、親父は二キロほど離れた場所で仕事をしているはずだった。大展望台は地上145m、特別展望台は250m。込み合う特別展望台で大人の知識をひけらかしながら、あれが日本アルプス、あれが川崎のビル、とやっているときに親父から電話が入った。でも電波が悪くてすぐに切れる。あとで聞いた話では、職場近くに孫がやって来てテンションの上がった親父、十階の図書館の窓からビルの谷間にのぞく東京タワーを見上げていたそうだ。向こうからは見えても、こちらからは新霞ヶ関ビルという建物がどの建物なのか皆目わからない。息子に言うと、まず皇居側の窓に向かって「お〜い」、次に六本木ヒルズの方の窓に寄って「お〜い」。こんな他愛ない交信のせいか否か、厚い雲の垂れ込めた灯りのない東京の街に廃墟としての印象をもたなかった。外から室外機の音を聞いている時のような、人々の気配をそこに感じた。