俺の苦労など(妻以外)誰も分かっちゃいない、と不貞腐れるとき、自分だって友人一人一人の苦労を何も分かっちゃいないと思う。それは言葉だけでは決して届かないものだ。ずっとそばにいて、同じ苦労を共にしてきた者でなくては。
多くの場合、人は他人の苦労話を、自分の苦労との対比でしか聞いていない。読書家が熱心な読書の間に行っているのは、作者の苦労の追跡でも、魂の再創造でもない。彼は自身の苦労を劇的に正当化してくれるであろう打ってつけの言葉を検索(拾い読み)しているのである。
共に暮らす者でなければ、心を共にすることはできない。ならばせめて他人の心に向けた矢印だけでも心の中に抱けないだろうか(respectとは本来、他を参照するという意味である)。銘々が銘々に対する矢印を抱いていると信じる想像力の無限遠点に、神様を考えることはできないだろうか。