先週の連休、白菊会に献体していた祖母の遺骨が戻ってきた。京都大学で行われた遺骨返還式に出席してきた両親の話を聞きがてら実家に行くと、文部科学大臣からの感謝状が立派な筒に入って祖母の遺影の近くに置かれていた。
酒に酔った父は、祖母への感謝の気持ちを矢継ぎ早に語るのであるが、祖母が立派だとする根拠が、祖母が亡くなった直後に父の話を聞いた僕の妻が、父に対して示唆した視点に基づくもので、そんな由縁はとうに忘れてしまった父が、あたかも自身の発見であるかのように妻に向かって講釈する様子に僕は少し苛立ってしまう。以下は、帰宅後に妻がした話。
小さい頃からお盆やお彼岸に大人たちが話すことはいつも同じだと思っていた。そうやって毎年、誰が言い出したともつかない話が塗り重ねられる中で、生き残った人間がその後の人生を共に歩んでいく死者の像が作られていく。普通なら葬儀の日のうちに火葬に付せられ骨壷に入るお骨が、おばあちゃんの場合は二年半戻ってこなかった。こういう機会に思い出すだけのうちらには、その間毎日の通勤電車の中でお父さんが感じていたかもしれない宙ぶらりんの気持ちは分からない。遺骨を手のひらに置いたお父さんが、「お袋の最期の言葉で解放された」と語った実感こそが何より大事なことで、生きる者にとってのお彼岸の意味もそこにあるのかも知れない。時間をかけて心の解放を得たお父さんの姿は、もっと年をとった時に、うちらにも学びを与えてくれると思う。