晴れ。昼過ぎから、息子の同級生のお宅に三人でお邪魔して彼女の三才の誕生会をやる。大人同士の会話に花を咲かせていたらつい長居して、『コクリコ坂から』のDVDまで見せてもらう。僕の横浜での中高時代はたった二十年前のことだけど、昭和三十年代を描いたアニメの絵は、学校周辺の当時の原風景とよく重なっていた。港への坂は急で、空気が澄むと東京湾の景色が見渡せた。お友達が場面転換の度に、「人が落ちた」、「歌を歌った」、「船が動いた」と、副音声ガイドのように解説してくれるのが可笑しい。息子は興味を示さず、プラレールに熱中。
夕方から会社時代の友達三人に会いに有楽町へ出かける。入った店は、大学生の頃ドイツ科の友達に連れて行ってもらったドイツ料理店だった。二件目はサラリーマンで賑わうビアホール。
昨今、世間から羨まれる待遇を得ている社会人であっても、楽をしてその地位を維持している人はほとんどいない。四の五の言う暇もなく皆必死で飯の種にしがみついている。良心の生理的な根源が、自分が恵まれているという感覚から来るある種の「負い目」にあるとしたら、多くの人が恩恵に浴するより、むしろ犠牲を払っている感覚を強いられている現在は、慈善的な気運の高まりにとって極めて不利な状況にあるのではないか。社会起業家を待ち望む空気も、この四年間で明らかに退潮した。かといって経済的に見れば、今ほど「誰かが見えないところでやってくれていること」によって、個々の人間の仕事や生活が支えられている時代もないのである。最終電車は飲んだ帰りのサラリーマンで一杯だった。横浜駅で発車を待つ人たちを見ながら、「この人たちは自分に何をしてくれているのだろう」と酔った頭で考え、駅を歩いた。お金の万能性の裏には、全ての人の労働の成果があるはずなのだが。