投票が終わって小学校のグラウンドに出ると、息子と同年の子たちがもう何人も遊んでいた。少しおちょけてバスケットのゴールにスラムダンクの要領で片手でぶら下がる、ということをやったら右手の握力を使い切ってしまい、今日一日紙で拭くときに撫でるようにしか拭けず大変難儀。
夕方から実家で、新しく増えた家族(妹の子ども)を交えて、八人でのクリスマスパーティー。息子は自分で作ったクリスマスツリーをばあばにプレゼントしていた。僕の知る限り、三十年以上前に四人で始められ、年を経る度に五人、六人、七人と記念写真に収まる人の数を増やしてきたこの集いは、自分にはただの生命の加算的な増加のようには思われなかった。そこには必ず関係性の組合せ論的な盛栄があった。そして僕の両親が息子に投げている視線を、亡くなった祖母たちも自分たちの子や孫たち送っているのだと思うと、死者ですら、かつて慎ましくあった愛情の接点の生きた鏡映のように思われた。ならば、世界はただ豊かになっていくだけではないか。幸福な幻想が、酒と、クリスマスのコラールに溶け合っていた。
気持ち良く目覚め、三日月も鮮やかに紫の富士に没す。良き週末の一日。