今日は年に一度の町の夏祭り。去年はベビーカーからほとんど降りることのなかった息子は、スピーカーから鳴る太鼓や祭囃子の音量に驚いたのか慎重な面持ちをしながらも、今年はうちら夫婦や僕の両親に手を引かれて会場中を歩き回り、お兄さんお姉さんに打楽器を貸してもらって音頭に参加したり、じいじの無駄に高いスーパーボール掬いの妙技を見定めたりしながら、彼なりに珍しい状況を理解しようと努めているように見えた。そんな息子を抱きかかえ、曲が流れる度に音頭の列に飛び込んでは軽快なステップを刻んで踊り続け、汗まみれになりながらあげくの果てに、祭りの主催者に目配せして息子を中央の壇上に上げてもらい、バチを借りて大太鼓を叩かせていた妻の姿には、さすがに根っからの祭り好きだったお父さんの娘だなと失笑を禁じ得なかった。妻は子どもの頃サーカスなどに行くといつもお父さんに最前列に座らされ、観客参加のイベントが始まると前に出されてバク転などを披露させられたりしたらしいのだが、その話をするたびに「あれは恥ずかしかった」と苦々しい表情を浮かべていたからだ。今週町で交わされる会話には、必ずこの祭りの話が出てきたと妻が言っていたけど、それだけこのお祭りが住民たちの意識に風物詩として根付いているということなのだろう。会場のあちこちで、お母さんが春から復職して以来見かけなくなっていた親子や、お母さんがアラスカへのフライト中で父子で参加していた家族、普段からの遊び友達やそのママ友など、ほとんどオールスターと言える面々に遭遇し、僕らも彼らと挨拶や軽い会話を交わす中で、最高に楽しい時間を過ごすことができた。お酒で少し火照った体を夜風に吹かせながら静かな家に帰ってくると、息子は少しほっとしたのか、しばらく枕の上に転がってミルクを飲んだりなどしていたが、僕らが横で寝そべりながら今日は楽しかったねなどと話しているうちに吸い込まれるように眠りに落ちていった。思えばこの町に住むようになったきっかけも、ここで叶った多くの出会いも全て息子がもたらしてくれたようなものだ。今日のような楽しい時間も含めて、息子には誕生以来数限りない幸せを貰っている。そんな思いを抱きながら彼の寝顔を眺めていた僕と妻は、まだざわめきが耳に残る祭りの余韻の中を漂うように浮かんでいた。