『走ることについて語るときに僕の語ること』

妻は知り合いが出るという『エフゲニー・オネーギン』を観に昼から上野へ。僕は家で仕事。夕方に長野県からのリンゴを届けてくれるという父を駅まで迎えに行く。父から借りた『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んでいるうちに(これは妹が父の日にランナーの父へ贈ったものらしい)、長距離走というスポーツへの観照的興味(積極的にその世界に足を踏み入れてみたいというのではなくて、なるほどそういう世界もあってそれはそれで奥行きのあるものなのだろうなという程度の客観的興味)の芽が生まれたこともあって、喫茶店でアイスティーを飲みながら、過去に完走したフルマラソンについて少し話を聞かせてもらった。その時の内容と、僕が曖昧に覚えている知識(と少々の想像)を組み合わせると話は大体こんな感じだ。
ランニングは学生の頃から続けてきたが、フルマラソンへの挑戦を始めたのは40代の後半になってからで合計三回。そのうち初めの二回は、ともに32km地点でタイムオーバーし失格に終わっている。落胆は大きかったが、気落ちしたままでも仕方がないと心を決め、早々に、高校の同級生たちに向けて「50才でホノルルマラソン完走をめざす」サークルの発足を呼びかけるところから再スタートを切った。反響は意外なほど大きく女性を含む何人もの旧友たちから参加の手が上がった。自身も、前二回で判明した弱点を克服すべく練習に熱を込め始める。早朝はもちろん、昼休みにも着替えて職場の周りを6kmほど走り、仕事が終わると近くのスポーツクラブに通って水泳や他の補助トレーニングで背筋等の強化に励んだ。そして練習の成果と各自の発見をメーリングリストで仲間に伝え合うことで、孤独になりがちなランナー同志の交流を図った。新たに取り入れた練習で最も大がかりだったのは、長時間にわたる脚の酷使に筋肉を慣らすために行った5時間半走だった。30kmを超えてからの走路では、素人の憶測に反して、気持ちの強さや根性といった精神論的な問題は後へ退き、脚の耐用という純粋に生理学的な問題の比重が増大するらしい。脚をしっかり作っておかなければ、精神力をいくら強靭に保ったところで走破することは難しい。5時間以上動き続けるということがどのような状態であるのかを両の脚に直に覚えこませておかなければならない。そのために、教会から自宅を通過して旧自宅の方面まで走り、さらにそこから自宅へ戻るというルートを5時間半かけて周る日曜日の練習を何度も繰り返した。
真珠湾攻撃の日に重なったホノルルマラソン当日は雲一つない快晴だった。とはいってもスタート時間は全米4大マラソンの中で最も過酷と言われる気象条件が考慮され、夜明け前の設定になっていた。まだ星の瞬きが残る濃紺の空の下スタートを切る。コースは全般的にホノルル市の南岸沿いに敷かれていて、ランナーたちには、有名なダイヤモンドヘッドやワイキキビーチを視界に収めながら周遊する特権が与えられていることになるが、はたしてそういった風景を楽しむ余裕があるのかどうか。とりあえず、ダイヤモンドヘッドに差し掛かったころから太陽が一直線に上昇を始め、それにともなって気温も真夏と感じられるまでにぐんぐんと上がっていったことはよく覚えている。海沿いを地平線に向かって伸びる高速道路を走ったこと、地元の人たちが声援を送ったりバナナを渡してくれたりして彼らの親切に感激したこと、ゴール前の最後の難所、多くの人が歩きながら登っていく坂道をぐいぐいと力強く駆け抜けていく自分の脚に感激したこと。先にゴールした友人の一人は、何やら奇声を発しながらゴールへ向かう父の姿を目撃したらしい。
『走ることについて語るときに僕の語ること』は、小説家が走ることを通して小説や人生について学んできたいくつかの事柄が、50才を超えてニューヨークシティーラソンに挑む現在の過程とパラレルに、作家らしい丁寧さで綴られた本だ。ボストンのチャールズ川沿いを走りながら、自分を追い越していくハーヴァード大学の新入生たちの背中に若かりし頃の自分を重ねる『もしそのころの僕が、長いポニーテールを持っていったとしても』、初めてウルトラマラソンに挑戦したとき、75kmを過ぎた地点から入っていった奇妙な世界と、その後自分とマラソンとの関係に訪れた倦怠について語る『もう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった』は、特にこの作家ならでは乾いたユーモアと粘り強い理解力を感じさせる好篇だと思う。でもこの本の素晴らしさの本質は、村上春樹個人の手によってなされた洞察の内容へと向きがちな読者の注意を、本書中でも言及される他のランナーたちそれぞれの思いへと自然に振り向けるしぐさの中にこそあると思う。この本で語られた人生についての真実、見出された人間の強さの様相は、彼ほどの言葉使い(この「使い」は「魔法使い」の「使い」)でなければ、捉えて表現することが難しい微妙で奥深いものではあるはずだけれど、その源泉となった体験は多くのランナーによって共有されていて、彼ら自身もそれぞれに手触りでこれらの真実を掴んでいるのだという含意へと、暗にリファーする体裁になっている。最後にある「すべてのランナーにこの本を捧げる」との言葉はこの意味で述べられたものだろう。父が「感激」という言葉で表現したかった思いも当然そこには含まれていたはずだ。