友人の作っている農作物のうち何種類かは、早くもそのクオリティーの高さが認められて、このところ流行している有機野菜の宅配サービスのうちの一つを販路として売り出されている。この宅配サービス、友人によるとその創成期には、利益率の上がりにくい有機農法に取り組む農家への共鳴と支援という市民運動的後押しを受けて、地道に売上げを伸ばしてきたのだが、最近は顧客がそういった中産階級的市民層から、老後資金の豊富なリタイア組や勝ち組を自認する高所得者層に次第に移ってきたらしい。その結果、サービスの認知度は増し規模も拡大してきたが、その反面で、野菜の外観等への基準が厳しくなってきたという話だった。ある野菜を出荷用に一定量ずつ計量して束ねる作業を少しだけ手伝わせてもらったのだが、多少虫に食われているというだけでせっかく実った野菜の葉を捨てなければならない現実にはなかなか悲しいものがあった。虫に食われているといってもごく一部で、他の部分は美味しく食べられるのである。産業がメジャーになるにしたがって、生産過程に費やされた技術や努力が自明視され、結果としての生産物の品質・価値のみに人々の関心が注がれていく傾向、それにしたがって消費者のクレームレベルも上がっていくという傾向はどの分野でも見られうる趨勢ではあるだろう。しかしこの場合、自分や家族の健康のみを関心事とし、またはChina Freeでなおかつ見栄えの良い野菜を食するというステータスに執心する層のみが経済的後押しになってしまうと、食べることのできる野菜の大量廃棄という、当初、有機野菜振興の目論みの背景にあった精神とは明確に矛盾する事態にも至りうる。業者間での価格・品質競争が激化すれば、他を出し抜くことへの誘因が支配する別のゲームが現出するかもしれないし、最悪の場合偽装のようなことに打って出る悪徳業者だって出るかもしれない。事業理念への理解が得られない状況下では、そうでない場合に比べて業者がこのような不毛な競争に駆られうるリスクは増大する。その意味で、優良な業者・農家への理解に基づいて、消費者自身が自覚的な消費行動を取っていくことの意味は相当に大きいのだと思う。