23日の日曜日は有馬やって、M-1見てのありきたりの過ごし方。ただ有馬記念のほうは未だに若者の年末を彩る不可欠のイベントとしてのポジションを保てているんだろうか、と疑問には思う。前日は気分を盛り上げるためにJRAのサイトにアップされていた過去の有馬記念映像などを見返していたのだが、そこでは正面スタンド通過時ですらマイクロホンが音割れを起こしているような、金切り声めいた歓声が飛び交っていた。当日のテレビ中継を見て、本馬場入場も随分静かになったなとちょっとびっくりするものがあった。レース後の観客の反応もしかり。ダイユウサクが飛び出して勝った時には、高まりきっていた緊張が異常な破裂の仕方をしたあと驚き、心臓が涼しくなるような悪寒、大げさにいえば人知の及ばぬ運命(寺山修司が死神と呼んだもの)に裁かれた時のような被虐的な恍惚があった。当時の有馬記念には各カテゴリーの優駿が雌雄を決する大舞台という意味に重ねて、馬券を握る一人一人の一年を審判に託すといった意味も込められていたはずで、だからこそ外れた時は一頻りの憎まれ口のあと、自分と向き合う時間に耐えなければならなかったし、多くのファンもそんな苦痛=快楽を求めて金を賭けていたのだろう。それに比べると今年のレース後に漂っていたのは、一方的な期待を裏切られた時の反感にも似た失望、ただのシラケた空気だったように僕には見えた。もちろん10年経てば社会も変わり、人間も変わる。目に映る現象の変化を、個人の見方の変化から切り離して取り上げることは難しい。ただ今年の場が退けたあとの空気が、馬名に反して全く祭りになっていなかったことだけは確かだろうと思う。
M-1のほうは最初から最後まできっちり見るのは実は初めてで、今年は奥さんが夜番だったこともあって、録画した上で自分たちでも採点したりしながら、ゆっくり楽しんだ。ネットとかもまだ見ていないので世の評価は分らないが、最終決戦での審査に関して言えば、とてもカタルシスのある良い結果だったのではないかと思う。オール巨人が評価する際の二つの軸、「ネタの新奇性、面白さ」と「技術的鍛錬度」について言及していたのでこのタームに沿って自分なりの採点予想をまとめてみると、キングコングは最初のネタに面白さがまったく感じられなかったのが、二つ目はそこそこ面白く(「だけどたすかる」とか)、鍛錬度は2本とも最高レベル。トータルテンボスサンドウィッチマンは「面白さ」「技術点」とも良好ながら2本目も横ばいという印象だったので、優勝はキングコングになるのかなぁと思っていたのだが(心情的には素の面白さでサンドを応援してた)、それはあくまで最初のラウンドでほぼ横並びだった3者の点数が妥当であるという前提に立った上での話で、見返してみるとやっぱり何度も見たくなるのはトータルテンボス(の1本目)、サンドウィッチマン(の2本目、「けじめピザ」のくだりは何度咀嚼しても可笑しい)のほうだった。票が割れたように見えたけど、勝者に入れたメンツ(松本、島田、上沼、巨人)を考えると実質明確な勝利と言ってもいいかもしれない。お笑いの賢者たちは、結局最後は技術性よりも面白さを重視したのかなぁと。勝った二人のネタや立ち居振る舞いを見ていると、NSC卒業生(競馬で言うと競馬学校卒業生)にありがちな内輪志向、閉鎖的な縦社会で生きざるをえなかったが故の見識・テーマの偏り等が感じられず(たとえば松本人志の美質の一つでもある種の子供っぽさは、彼が通ってきたエリートとしての歩みと無関係ではないだろう。逆にサンドウィッチマンが少年期を発想の源としたネタをやるのはちょっと想像しにくい)、普通に広く社会を渡ってきた大人の風情があって清々しい印象をもった。早速Wikipediaで調べてみたんだけど、あれうちらと同年代なんだね…。単純にうちらも頑張ろうって気になったよ。
24日は空の向こう側まで見えそうなほどの澄んだ青空。朝早く起きて、父親に付いてきてもらって久し振りにおばあちゃんに会いに行ってきた。風が強く光の溢れたそこは『潮音の街』とあった。今回はすぐに僕のことを思い出してもらえたけど、結婚はこれで3度目の報告、奥さんの紹介も3回目…。でもなんだろうね、向こうがこちらを受け入れる空気を出してくれたおかげで、自然に「おばあちゃんとの会話」を楽しむことができたと思う。機転の利いた語り口も相変わらず。プレゼントしたルノワールの英語の絵本を音読して、night awayという熟語の意味を言い当ててみせたのにはびっくりした。「二人は夜通し踊った、ってことやね」って。上品な言葉の選び方、味噌汁を飲むときの左手をお椀の下に添える仕草、ケーキの上に載った大好きなイチゴを見つめる目線、すべてがおばあちゃんその人だった。帰り際、何だかこっちがおばあちゃんとの関係を再現させてもらいにいったみたいなもんだね、と言うと、妻が「贈り物って、何かをあげるんじゃなくてこっちがもらうためにするんだよね」って。「人は与えることによってのみ、欲しいものを手に入れることができる」とはレヴィ・ストロースの言葉だったか。クリスマス・プレゼントがあるんだ、と言った時の「わぁ〜」という歓声は本当に忘れることができない。
帰りは渋谷によって第九を聴いた。定番通り4楽章の前まで寝ていたが、うたた寝のさ中に聞こえてきた第3楽章の美しかったこと。
写真は部屋の入口に飾ってあった、おばあちゃんお手製のピーターラビットです。衣装も全部手作り!