YouTubeで『壊れかけのRadio』を聴きながら昔を懐かしんでいると、料理を作っていた妻が「汚れもないままに汚れもないままにって、今どんだけ汚れとんねん」と。少年時代を美化して懐かむステレオタイプこそが汚れた大人の態度なんちゃうんかと。まあその通りなんだけど、「汚れもないままに汚れもないままに」ということは「今は汚れて汚れて」と婉曲的に告白しているわけだから、「少年=無垢」、「大人=汚れ」というある種開き直りの価値観で押し通しているという意味で主張自体の中に矛盾はないんだよね。そういう目線で最近良く出てくる徳永英明を見ると、あれは汚れを自覚した大人の確信犯的所業なのだろうなと思って微笑ましくなる。汚れた大人でも人に夢を与えることは可能なんだなぁと。「恋に落ちて』とか『時代』とか結構よかったよ。