2000年だか2001年だかのシーズンにTrail BlazersとLakersの試合がテレビで放送されていて、見ていると途中からBlazersの控えとして一人の丸太のように太った選手が登場してきた。のろのろと緩慢な動きでベンチを離れたその選手に課された仕事は、敵の攻撃の中心Shaquille O'nealに対してファールを重ねること。つまり正当な防御を試みてももはや防げる見込みが全くないので、退場覚悟の上で相手の手首を押さえたり体を押したりしてシュートを打たせないようにする役割である。全盛期を迎えていたO'nealを抑えるために当時のWesternのライバル・チームはどこも、オーバーウェイト気味の控え選手をO'nealの防波堤としてベンチに並べていた。かつてSuperSonicsの攻撃の花形だったShawn Kempが起用されたのはまさにこのブルー・カラーなファール要員としてだった。チームはオフェンス面での戦力として彼を全く計算に入れていなかったので、味方からパスがほとんど回ってくることはほとんどない。かといって任務を負わされたディフェンスでも、不摂生のせいでウェイトが増した体を見込まれただけで、元々が本領の仕事ではないのでほとんど光るところを見せられない。ペイント内で猛威を振るうシャックに体を預けてファールを侵していくだけの単調作業でほどなくファール数は積み上がり、ゲームメークから遠く離れた雑用を終えた元オールスターは無気力気味にベンチへ引き上げていった。
「この選手前に好きだったんだよね」と呟くと、妻に目をまんまるにして驚かれたのを覚えている。
それは全く無理もない感想で、というか、93年のWestern Conference Finalで"Sonic Boom"たちを熱烈に応援していた当の本人でさえ、Shawn Kempが本当にすごい選手だったのかについて疑問を抱かざるを得ないほど、その時の彼の相貌には精彩が欠けていた。NBAではまだ珍しかった高卒選手の全盛時、(Kempが大学に進学しなかったのは、高校時代チームメートのネックレスを勝手に質屋に入れたのが原因だった)、爆発的なプレーのダイナモとして機能していたはずの独特の野性味が、フィジカルな輝きを失われるとただの無教養として映ってしまうのも皮肉だった。このシーズンの後Trail BlazersはKempとの契約を解消、KempはOrland Magicへと移籍するが、若きT-Macが台頭していたフランチャイズには、もはやスターダムとしてはもちろん端役としての場所も残っていなかった。2003年にやむなく引退。2005年、2006年に麻薬所持で逮捕。

このハイライト・リールを見ると、90年代前半の彼の輝きが本物であったことが改めて確認できる。ここで選ばれているプレーは多分特に選りすぐりのプレーというわけではない。大げさでなくて当時のSonicsのゲームにはこの種のプレーが日に4,5回はあったと思う。Michael Jordanを手本にして育ってきた次の世代の高卒組(Kobe, Garnette, T-Mac)がデビューした90年代後半から、バスケット・ボール自体のレベルが一段上がった、Kempが見せたオフェンスのprodigyは、時代の後進性によって際立っていただけの見せかけに過ぎなかったという疑念は、例えば同じカテゴリーに登録されているT-Macのハイライトと見比べることで容易に払拭されるだろう。T-Macのプレーは巧緻に長けた曲芸のように貧弱に見える。90年代当時のKempのプレーは一言で言ってヒト科の範疇を超えていた。Amare StoudemireやLebron Jamesといった現代屈指のingame dunkerでさえもこの点において未だに彼を超えていない。もっともパスもシュートもできる真っ当なアスリートである彼らが、わざわざヒト科から外れるメリットはないのだが。
今年38才になるKempは、キャリアを「正しいやり方で終える」ために、未だにNBA復帰を目指してトレーニングを続けているらしい。YouTubeでは上のハイライトと同じ映像に加えて、そのトレーニング風景らしき映像も見ることができる。