ちょうど一月。これまでの人付き合いの恵みからひとまず離れて探求に沈潜する日々を覚悟していたけど、今月はなんやかんやの催し物で結局色々なところへ出かけていった。まず会社の別々のグループが送別会を開いてくれて町田と渋谷へ。どちらもいつもと変わらない調子のネタと会話で、それがとてもありがたかった。月の半ばには妻の妹さんが遊びに来てくれて横浜で食事をした。3人とももう何度も仕事を変わっていて向こうには子供がいたりするのに、この3人で会うと自分にとってはなんか学生の頃と同じような空気が現れる。妻を自分よりも昔から知る人は僕にとってはやっぱり特別な存在で、誰に遠慮することもなく彼女の昔話が聞ける時間を本当に楽しむことができた。先週末はプレゼントをもって実家にお泊り。そうそう、妹がメンデルスゾーンを弾いた演奏会が月初めにあったんだけど、その帰りに忘れちゃいけない出会いがあったんだった。広尾のホールを出て、前に見つけたプレゼントを買うために六本木に寄り道することにした。歩くとすぐに目印のビルが見えたからこれは近いだろうと思って徒歩で行くことにしたのだが、坂の多い道で距離も案外に遠く、空腹と疲労と寒さで哀しい気持ちになりながらようやくズーヒルギロッポンに辿り着いて案内板を見ながら適当な飯屋を探していると、人ごみの中から「リッチ?」と中高時代のあだ名で呼び止められた。振り向くと、あっ、確かに見覚えのある顔、見覚えのあるメガネ。反射的に、さも覚えてるかのノリで「おお〜」と親愛の情のこもった言葉を発してみたものの名前が出てこない。焦った。ただ14年ぶりに見かけて声をかけてくれた相手に「誰だっけ?」と返す最悪の失態だけは避けなくてはいけないので、普段は投票締切り間際にしか使わない集中力を全開にして、「おお〜」で引っぱった間が途切れるタイムリミットにギリギリで滑り込んでみせた。「シゲ?」。そう、本名はI藤といって空手部の数少ない同期だったのだ。それほど仲が良いわけではなかったけど、部活が終わって一緒に帰ることもあったし(他の日は誰と帰っていたのだろう…不思議と思い出せない)、昇段試験のための練習をしに関内の道場へ一緒に通ったこともあった。目立つ存在ではなかったが、何人かの同級生が「シゲはいい奴だよ」と語っていた言葉は覚えていて、自分の微かな印象もそれとたがわないものだった気がする。休日なのにスーツにコートという出で立ち、重そうなカバンも抱えており仕事なのかと聞くと、映画を見る前に時間をつぶしているだけだという。おそらくは間を繋ぐために渡してきた名刺には≪辯護士≫の文字があった。もう5,6年続けているらしい。東京の西の方から毎日新橋辺りの事務所まで通っている、通勤も仕事も大変だよ、とその辺の話は何かきまりが悪そうだった。「リッチは何やってるの?」と聞かれた時はなんかこっちも上手く話せなくて、曖昧な言葉を継いでいたら「おお、事業起こすんだ?」ってことになって流れに任せて「うん」とこたえてしまっていた。テンションが変に上がっていたせいで最後にメールアドレスを交換する時まで妻の紹介が遅れてしまったのだが後で彼女に聞いた話では、彼はそれまで、彼女がずうっと彼に目を向けていたあいだも一度も彼女の方を振り向かなかったらしい。控えめというか質実剛健というか、なんとも彼らしい振舞いのような気がした。その後別れて二人でとんかつ屋に入ったんだけど、放心したようになってしばらく言葉が出てこなかった。妻も相当に緊張したらしく、「やっぱ変な格好で外で出歩からへんな」みたいなことを言っていた。上気した様子がなんとも可愛らしかったけど、そんな気遣いは本当に無用なのにと僕はつくづく思ったのだった。
今日はもうちょっと違うことを書こうと思ってたんだけど。