何かすごく元気だ。長かった日々の拘束から解放されたから?それもあるだろうけど、こういうextravagantな自由時間を与えられる経験は初めてではないから、多分それではしゃいでるだけではないと思う。
職場から持ち帰ったファイル・書類・資料の整理、退職関連の手続き、家事、図書館や古本屋での本漁り、病院、それにもちろん研究と勉強も。スポーツ選手がよく開幕前なんかの心境を、気持ちが充実していて、みたいな言葉で表現するけど、そういうシンプルな言い方が一番合っている気がする。身体の局所から豊かな貯えを暗示するように自然にエネルギーが湧いてきて、気力の表面に漲っていく感じ。こと「仕事」や「勉強」に関しては、ここ数年そんなordinaryな心持ちを抱けたことはなかったから自分にとっては新鮮な感覚だ。研究は基本的にはプログラムを書いてコンピュータに計算させ、結果が出るとそれを分析してモデルを見直すという繰り返しだから、計算中は結構空き時間があるので、それを利用して復習もかねつつ数学の本を何冊か並行して読み始めた。テストに出ないから定理だけ読んで証明も練習問題も飛ばして、なんていう大人読みはしないで、印刷用紙を机において学生みたいにまじめに証明を再構成したり計算問題もちゃんと解いたりしている。こんな典型的な勉強は大学院受験があった夏以来だから11年(!)ぶりか。それでも意外に部分積分だとかガンマ関数だとか手が覚えているところもある。あの夏教科書片手にオリンピック(マイアミの奇跡)を見ながらそれなりに必死に勉強した楽しさも甦って(あの頃には絶対に戻りたくないけど)今のところ順調にはかどっている。
夜の空き時間には読む本が小説になる。『侏儒の言葉』、『西方の人』、『蜃気楼』、『ナジャ』、『三酔人経倫問答』、『スペードの女王』、『暗い時代の人々』、『父の詫び状』等々、読書の遅い自分としては結構な量を、それも相変わらずの趣味の本を読んでるんだけど、不思議なことにこういうものを読んでも今のところ感傷的になったり回顧的になったりすることがほとんどない。今日も実は元々日記を書くような心理では全然なくて、ウィスキーを水で割ったのを飲みながらわざわざ神経系のモードを一つ落としてやっと書いている状態(明日は自分で設定した休日なので、夜更かししながらちょっとゆっくり考えてみようと思って)。
こんな風にちょっと意識が昂進して自我が前向きな体勢に入ると、いつもの正体なき罪悪感が君臨して仮借ない罰を課してくるので、大人しくなって仕方なく引き下がざるというというのがこれまでずっと繰り返してきたパターンだったのが、今はその兆候すらないのは自分としてはある意味事件だし、自分がこの年になって有用な知識にいかに欠けているかという事実を素直に受け入れながらそれを向学心に繋げていけているのも、現時点でとても良い流れに乗れていることのサインだと思う。朝起きるのも夜床に就くのも、自分でしっかり納得してから行っている感じ。こういう生活だと睡眠が多少足りなくても疲れは案外たまらないものみたいだ。
会社を辞めることを具体的なプランとして考え始めたのは一年くらい前のこと。なぜ実際の退職まで時間がかかったかというと、職歴に4年ものブランクのあった自分を採用した会社への恩義、上司からの慰留とか周囲の人々との議論とかもあったけど、誰よりも自分が後悔の残る選択をしたくなかったから。だから、定年まで働くプラン、あと10年続けるプラン、あと5年続けるプランなども想定し、それぞれの最大のメリットも数え上げ、方針転換して出世の道を選ぶ可能性すらも探りつつずっと真剣に考えていた。いずれの選択肢にも挫折し、そのどれもが自分の人生にはありえないものという結論に達してからは、なぜ自分はこのような法外な道を選ばなくてはならないのかという問いが激しく自分を強迫するようになった。「なくてはならない」という語に含まれる強制的で受動的なニュアンスは、16才の頃からずっと自分を支配してきたもので、下品な話になるけど高校2年の時から横浜の学校でずっとトップの成績をキープしてきたのも、その時期からそうしなくては自我を維持できない苦しさ、脆さに苛まれていたからだったし(今でもラムネ・ホールの屋上から飛び降りようとする夢を見ることがある)、京都の大学を選んだのだって、そのまま自宅から東京の大学へ通っていたら破綻するのは目に見えていたから(「生活の調子が変わるときルネッサンスは来る」という歴史家の言葉を僕は護符のように握り締めていた)。その京都を脱出して東京に戻って以降はもう逃げて逃げてという…。「自分で選んだ人生だから」とresponsibleに自信をもって言える人間を僻んで見てしまうのはどうしようもなかった。もちろん逃げたと言ってもそれは事後的な自己評価の問題で、僕だって上にあげた全ての局面でなんらかの意味では必死に努力していたから個々の行動について具体的に後悔したことは一度もなかったけど、こうならざるを得なかったのは自分自身の中の致命的な欠陥のせいではないか、という敗残感は否定しようがなかった。
他の道ではなく、なぜこの道を来たのか。その究極的な原因を自己の内部性・歴史性に帰していく立場を仮に精神分析と名づけるとしたら、僕はちょっと過剰に精神分析的だったかもしれない。抑圧の起源を探るために過去の体験を洗い、懺悔し、裸の自己と徹底的に向き合うこと。これはもちろん意味のあることだし、自分を許し他人を許すことが、自分が(神に)許されることと一体であるというキリスト教的な叡智(こんな勝手な定式化は完全に僕自身の解釈だけど)には随分救われてきたから、フロイトの本意を否定する気持ちは今でも全くない。ただ、現実世界での生き方の場面で、「自分はこういう人間だから」というだけでは片手落ちなのはよく考えればあたりまえの話で、その意味では、僕は所謂『ひきこもり系』の人たちと同じ罠にはまっていた。デュルケムという人の考え方に触れて(正確には彼の思想を解説したアメリカ人の本を読んで)から僕の中でもう一つの軸(「いま自分の目の前にある社会はこうなっている」)が引かれることによって、ようやく視座の座標系が完備したように思う。ここで初めて「自分はこういう人間で、そんな自分の目の前にある社会はこうなっているから、こう生きよう」という十全な命題が完成した。これが本当にきれいに自分の腹に落ちてきたのだと思う。(ちなみにこの二分法では「自分はこういう人間だから」が欠けると(「社会はこうなっているからこう生きよう」)、フリードマンドラッカーのビジネス書をありがたがる『自分さがし系』の迷路に入り込むという図式になるかもしれない)
この社会の中で、サラリーマンとしての価値観にコミットしつつ生きること。この一年ずっと振り返ってきたけど、そのための種は自分の形成史の中に一粒も見つけることができなかった。親からのinstillationにおいても、学校での教育においても。僕は自分の親を本当に申し分ないと思っているし、自分が今の妻との関係を築けたのは彼らが僕の中に醸成した恋愛観のおかげだと思っているけど、サラリーマン的価値の信奉者から程遠かった彼らは、かといって、人間は自分が心底納得する道を選択してすることによって初めて最大の力を発揮できる、ということを身をもって示してくれる存在でもなかった。そんなのは当たり前のことで生き方も含めて親に完全性を期待するのは甘えでしかないだろう。本当に頭の良い人、早熟な人はそういうことにもっとずっと早くから気付いてしまうものかもしれない。自分は家族にも友達にも恵まれ、色んな本も読んできたのにそれに気付くのに32年もかかってしまった、ただそれだけのことだ。