2月27日。昼ごろ起きてすぐに、前日までに用意してあった同期用メールとお世話になった人用メールの文面と宛先を見直して送信。お世話になった人のリストは当初、抜け駆けしていく自分の存在を知られたくない、というやましさが手伝って絞りに絞った10人強だったのを、「ちょっとでも伝えたい気持ちがあるなら伝えたほうがいい」という妻からのご託宣で結局直前に4倍の45人まで大増強。4年間に携わったプロジェクトを慌てて数分で回顧したからもしかしたら漏れもあったかもしれない。今回こういう経験をすることになって今さら気づいたのは、退職に伴うこの手のしきたり化した作業は本当に疲れる、ということだった。作業自体はフォーマットをどこかから見つけてきて踏襲すれば良いだけなのだけど、意識下では関係する人や物全体の大掛かりな配置換えが行われていて (bccに一つ一つのメールアドレスを加えるたびにその人は「周りにいる人」から「お世話になった人」に続柄変更されていく) 、そういう目に見えないところで消費されるエネルギーが、体感できるほど大きくてヘトヘトになる。文案を練ってる間も、ディレクトリ・サービスでメールアドレスを調べている間も、このところずっと続いていた緊張状態がいよいよピークに達していく感じで、チェーン・スモーキングは止まらないし手は小刻みに震えるしで大変だった。送信直後に (もう本当に1分経つか経たないか、あれで本当に気が楽になった) すでに知っていた友達からメールが返ってきたのを皮切りに、ぽつぽつと返事が返ってくる。不思議なもので、意外なところも含めて自分が人間的に魅力を感じていた人、接触は少なかったけど家で話題にすることの多かった人からの返事が多く、好意の対称律のようなものを感じる。前の日までにあらかた作業は終えたつもりだったのに、資産の引渡し、PCのフォーマット等に時間を取られ、また声をかけてくれた人との長い立ち話なんかもあって会社を後にしたのは結局9時半頃だった。縁の物がどんどん自分の手を離れてオフィスが片付けられていく間、今日は仕事にならないと言っていた友達がずっと帯同してくれてとても心強かった。その後その友達と2人でマックに行って深夜の1時頃まで喋る。こういう時って意外と去っていく方は話がないものだけど、彼が今面白いと思うこと、将来についてのことなどを率直に話してくれて、話の内容も consistent でとても面白くあっという間に時間が経ってしまった。同期全員に送別会なんかされたら堪らないと、挨拶メールの送信も極限まで引き伸ばして我を張っていた僕のことを妻は心配していたようだけど、あの深夜マックのおかげで本当に全てがこれで良かったんだと思うことができたし、ずっと忘れられない一日になった。そう話すと妻もとても喜んでくれていた。