考えてみれば彼は、Jordan以降でFinal MVPに輝いた最初のシューティング・ガードということになっていた。1998年以降NBAもファンも皆Jordanの幻を追い続けてきて、何人かの才能あるプレーヤーが実際に有力候補に名乗りをあげたのだけど、結局この日まで誰一人としてあの偉大な六歩の足跡の一つにさえ届くことがなかったことになる。何故か?彼らに欠けていてこの24才の若者に備わっているものを見ればその理由は自ずとわかってくるだろう。彼にも確かにJordanに届かないところは山ほどある。高さも技の多彩さも敵の心を挫く威圧力もどれもが少しずつ足りていない。何しろ相手は競争者の完全性の象徴となった存在なのだから、他のNext Jordanの挫折者たちと同様にこの点を論うのは酷というものだ。けれどもPistonsを4-2で下したConference Final、0-2と追い込まれGame 3の残り6分で13点差をつけられていたポイントから4連勝を決めてみせたFinalでのJordanesqueなパフォーマンスを見守る中で、僕らは同時にこのプレーヤーがJordanさえ見せることのなかったいくつかの美質を輝かせる姿に驚き、酔ったのだった。Shaquille O'neal、Alonzo Mourning、Gary Payton、Jason Williams、Antoine Walker。Dwyane Wade以外の一体誰が、それぞれ過去にFranchiseを象徴してきたこれらの年上の自信家たちにここまでリスペクトされ、信頼され、可愛がられることができただろう。優勝が決まった時、コーチやスタッフ、エゴの塊のような選手も含めた歓喜の輪は、日なたにネコが集まるようにごく自然にこの青年の回りに広がっていった。こんな光景はJordanの2つのthreepeatの間には一度として見られなかったのである。Chicagoに生まれたWadeは、Bulls王朝が布かれたJordanの最盛期、同じ街に生まれた全て少年達と同様に「Jordanみたいになる」ことを夢見る小学生だった。両親の離婚後は姉たちと一緒に父の元で暮らした。この頃の記憶を彼は「少年時代の僕が道を外れなかったのは姉さんの教育のおかげだった」と振り返る。宗教心に篤くでNBAに入る前から『十分の一税』の寄付者だった。大学時代に高校からの意中の恋人と結婚、キャンパスの華になることを避けて家庭を持つことを選んだ。子供たちに読むことの大切さを語り、自身はJane AustenのPride and Prejudiceをこよなく愛する。断じて男前でないその顔、表情を見ていると、「男は顔じゃないなあ」と思わされると同時に、人は自分で顔を作っていくものだな、とつくづくと考えさせるのである。
本当にこれから10年ずっと見ていきたいと思わせる選手が生まれた。Spurs、Pistonsと続いたスーパースター無きチャンピオンの時代が終わり、Dwyane Wadeと同期の超人Lebron Jamesとともに英雄の時代が始まるだろう。