寝る前や仕事中ふと気が抜けた時なんかに、ブラウザのお気に入りの中から個人系のサイトを読んで回ることがある。知り合いが半分、他人が半分くらいの割合だが、その中で、windowsのパソコンを買ってインターネットを始めた1996年頃から、ずっと断続的に読み続けてきたサイトがある。日記が主なコンテンツで、この10年間ほぼ途切れることなく更新されていたのだが、この1月、終了宣言とともに更新が止まってしまった。休止でなく本当に終わってしまうらしい。
知り合いなのか、と言えば一応知り合いだが極めて縁は薄い。大学院で物理を学んでいた時の同級生だ。よく行くサイトは、ほとんどが自分とそれほど隔たりのない枠でものを考えていて、それを自分よりうまく表現してくれたり、自分の気づかないところに気づかせてくれたりする広い意味での共感系だが、この人の場合は違った。書いている内容のほとんどが極論暴論罵詈雑言。実名を晒しながら敵を作ることを全く恐れない筆致で書きなぐり、現実世界でもどこに行っても諍いごとを起こしていたようだった。読んでいて自分も反感を感じることのほうが多かった。
ただとにかく熱い。古典的とも思えるロマンチックな情熱で研究生活に没頭し、家に帰ると寝る間を惜しんで趣味の世界に浸りきる。一度興味を持った分野は猛烈に文献を漁って、整理されたフォーマットのデータに、感動と呪詛に満ちた私見を添えたレポートを仕上げていく。考え方の方向なんかは自分からみると随分無粋にも映ったが、時おり力ずくで掴み取った真実の破片のようなものが輝いていることがあって、色んな意味で刺激的だった。大学院を模索している時に、学部時代からこの大学にいたこの人のページを知った。そこに綴られたDiracの原書読みのレポートは読んでいて心踊るものがあったし、ここ3年間の洋行期に書かれた神話やオペラ、教会のレポートなんかはうちの奥さんも楽しんで読んでいた。
常に外部に対して、自分の存在をアピールしながら動き続けていなければ死んでしまう、マグロみたいな人。その人がもう日記をやめるという。やめる本当の理由はわからないが、この社会への帰還が、何らかの転向を強いているのではないかと心配する。近くにいたら必ず騒乱が巻き起こるタイプだが、そのスタイルがあまりにも個性的なだけに、向こうにいた時にはそれなりに可愛がられもしただろう。この社会にそういう意味での懐の深さは全くない。つくづく此の地の異端を挫くパワーには物凄いものがある。
そんな彼女、帰国後の日記で日本に適合できない自分を、「優雅」と表現していた。
粋(イキ)だ。