日米Amazonブックレビュー読み比べ

Amazonの本場サイト(amazon.com)と日本語サイト(amazon.co.jp)で、ブックレビューの読み比べをしてみた。これがなかなか面白い。
まずびっくりするのが、噂には聞いていたけど、村上春樹の人気がアメリカ(+イギリス?)でも物凄いということ。初期四部作の中の『羊をめぐる冒険』と『ダンスダンスダンス』から、2002年9月公刊の『海辺のカフカ』まで主著は一通り翻訳されていて、人気ランキングも日本のそれと大差はない(『カフカ』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』が3強)。日本で人気の登場人物、『ノルウェイの森』の「ミドリ」は、アメリカでも大人気のようである。しかも、アメリカの読書家は熱心なのか、レビューの総数に関しては軒並みアメリカのほうが多いのである。日本で『ノルウェイの森』の文庫版に付けられたレビューは上下合わせて28件、対してアメリカでは109件!それぞれのコメント内容には日米それぞれに興味深い特徴が現れていてこれがまた面白い。SpotlightReviewsで比べてみよう。

  • [日本]この本を読んだ後、私は何もする気になれませんでした。切なくて、苦しくて、その場から動くことができなかったのです。
  • [アメリカ]この小説は、Harukiの他の作品ほど複雑ではありません。『ねじまき鳥』等に登場する夢幻的・空想科学的で説明のつかないエレメントはこの小説には登場しないのです。にもかかわらずこれは楽しく、読みがいのある小説です。他の村上作品の中では数節にわたって達成されている深い叙情が、この小説には一貫して流れているのです。

総じて日本人には、作品との距離を無化し、作品世界を自分の生活感覚と触れ合わんばかりに引き寄せて、そういう接触的な読書体験から立ち上がってくる実感を感覚の言葉で表現していくという傾向がある。そういった場では、作品を読んだ自分を語ることが、そのまま作品を作品について語ることになるというパターンが成り立つだろう。一方アメリカの読者は、私的な感想は述べつつも、自分がそれを推奨する/しないにかかわらず、あくまで作品の紹介に努めようとする傾向がある。日本人のレビューには、ごく私的な生々しい感想が溢れていて、それはそれで参考になるものだが、レビュー(書評)を公共空間に掲載するという趣旨に忠実なのはアメリカのスタイルである。その証拠に、「参考になりましたか?」で、「はい」と答える人の割合は(「はい」と答えさせるレビューの割合は)、アメリカのほうが顕著に高いのである。
ところが、この作品を対象化して批評するアメリカンなスタイルも、対象化する主体自身が、おかしな(オリエンタルへの)偏見に支配されていたり、また逆に日本人には常識化されている権威付けから自由であったりすると、それが客観性を装っているぶんだけ、妙におかしく見えてくることもある。漱石の『こころ』を、「小説が一般的にもつべき説明・展開・クライマックス・大団円の構成」に欠けているために「最も過大評価の小説だ」と貶したり、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を、「日本の青少年が皆、お勉強中毒で、陳腐な同質化システムへの編入を望んでいるわけではないことが分かった」などと評価したりするのは前者の例である。『吾輩は猫である(英題は"I am a Cat")』の感想に、「猫が好きな人にお薦め」っていうのもあって、これは後者の例だろうが、これには笑った。